京都市、桜の花見の起源の逸話、今は「縁結び」一色も、縄文期から続く祭祀
[住所]京都府京都市東山区清水1
[電話]075-541-2097
地主神社(じしゅじんじゃ)は、京都府京都市東山区にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
清水寺の清水の舞台を出て直ぐ左手にある神社で、江戸時代までは清水寺の鎮守社だった。「地主神社」そのものは一般名詞でもあるため、京都地主神社とも呼ばれる。
大国主命を主祭神として、父母神の素戔嗚命・奇稲田姫命、奇稲田姫命の父母神の足摩乳命・手摩乳命を正殿に祀る。
メンバーとしては氷川神社の御祭神と共通するものが多いものの、大国主命が主祭神となっているところに違いがある。ただし、素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」に加盟している。
また、大田大神(芸能と長寿の神、猿田彦命の子孫である太田命と同体か)、乙羽竜神(旅行・交通安全の神、おとわりゅうじん)、思兼大神(知恵と才能の神)を相殿に祀る。
末社として、栗光稲荷社(商売繁盛の神)、祓戸社(祭神は祓戸大神)、おかげ明神(一願成就の守り神で女性の信仰を集める)、撫で大国(撫でると御利益があるという大黒天)、水かけ地蔵(水をかけて祈願すると御利益がある)、良縁大国(縁結びの神)がある。
社伝によれば、創建は神代。境内の「恋占いの石」は原子物理学者、ラリー・ボースト博士による科学的な年代測定で縄文時代のものであることが判明している。
平安時代には嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇が行幸。天禄元年(970年)、円融天皇行幸の際、勅命により臨時祭が行われた。これが今日の例大祭「地主祭り」の起源である。
明治に入り神仏分離令により清水寺から独立し、近代社格制度のもと郷社に列格。
戦後は、京都周辺の旧民社を中心とする神社が加盟する神社本教に所属しており、平成11年(1999年)からは当社宮司が神社本教主管(代表)を務めている。
現在の社殿は、徳川家光が寛永10年(1633年)に造営したもの。
本殿、拝殿、総門は国の重要文化財に指定されており、平成6年(1994年)には、歴史的経緯から清水寺の一部という形で世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産として登録された。
境内には10メートルほど離れて立つ二つの守護石「恋占いの石」は、目をつぶって、その石から石に辿り着けば恋が叶うとされている。京都のパワースポットの一つ。
「えんむすび」を前面に打ち出しており、現在は月例祭「えんむすび地主祭り」も行われている。
境内は「地主桜」と呼ばれる桜の名所で、弘仁2年(811年)に嵯峨天皇が行幸した際、一重と八重が同じ枝に咲いていた当社の桜の美しさに三度車を返したことから「御車返しの桜」とも呼ばれ、以後、嵯峨天皇は当社に桜を毎年献上させた。
当時の花見は梅が一般的だったが、弘仁3年には嵯峨天皇が桜の花宴を開いたという記述が『日本後紀』にあり、日本初の桜の花見の公式記録であるとともに、日本人の桜好きの原点とされる。
その意味では、当社は桜の花見の起源とも言える。
通常の神社の御朱印は、社名を中心に大書されることが多いのが、当社の御朱印は主祭神である大国主命が大書されているのが特徴。それも含め、御朱印でも「えんむすび」を推している。
【ご利益】
縁結び、子授け安産、芸能、長寿、旅行・交通安全、学問など(公式HP)

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地主神社(じしゅじんじゃ)は、京都府京都市東山区にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
清水寺の清水の舞台を出て直ぐ左手にある神社で、江戸時代までは清水寺の鎮守社だった。「地主神社」そのものは一般名詞でもあるため、京都地主神社とも呼ばれる。
大国主命を主祭神として、父母神の素戔嗚命・奇稲田姫命、奇稲田姫命の父母神の足摩乳命・手摩乳命を正殿に祀る。
メンバーとしては氷川神社の御祭神と共通するものが多いものの、大国主命が主祭神となっているところに違いがある。ただし、素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」に加盟している。
また、大田大神(芸能と長寿の神、猿田彦命の子孫である太田命と同体か)、乙羽竜神(旅行・交通安全の神、おとわりゅうじん)、思兼大神(知恵と才能の神)を相殿に祀る。
末社として、栗光稲荷社(商売繁盛の神)、祓戸社(祭神は祓戸大神)、おかげ明神(一願成就の守り神で女性の信仰を集める)、撫で大国(撫でると御利益があるという大黒天)、水かけ地蔵(水をかけて祈願すると御利益がある)、良縁大国(縁結びの神)がある。
社伝によれば、創建は神代。境内の「恋占いの石」は原子物理学者、ラリー・ボースト博士による科学的な年代測定で縄文時代のものであることが判明している。
平安時代には嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇が行幸。天禄元年(970年)、円融天皇行幸の際、勅命により臨時祭が行われた。これが今日の例大祭「地主祭り」の起源である。
明治に入り神仏分離令により清水寺から独立し、近代社格制度のもと郷社に列格。
戦後は、京都周辺の旧民社を中心とする神社が加盟する神社本教に所属しており、平成11年(1999年)からは当社宮司が神社本教主管(代表)を務めている。
現在の社殿は、徳川家光が寛永10年(1633年)に造営したもの。
本殿、拝殿、総門は国の重要文化財に指定されており、平成6年(1994年)には、歴史的経緯から清水寺の一部という形で世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産として登録された。
境内には10メートルほど離れて立つ二つの守護石「恋占いの石」は、目をつぶって、その石から石に辿り着けば恋が叶うとされている。京都のパワースポットの一つ。
「えんむすび」を前面に打ち出しており、現在は月例祭「えんむすび地主祭り」も行われている。
境内は「地主桜」と呼ばれる桜の名所で、弘仁2年(811年)に嵯峨天皇が行幸した際、一重と八重が同じ枝に咲いていた当社の桜の美しさに三度車を返したことから「御車返しの桜」とも呼ばれ、以後、嵯峨天皇は当社に桜を毎年献上させた。
当時の花見は梅が一般的だったが、弘仁3年には嵯峨天皇が桜の花宴を開いたという記述が『日本後紀』にあり、日本初の桜の花見の公式記録であるとともに、日本人の桜好きの原点とされる。
その意味では、当社は桜の花見の起源とも言える。
通常の神社の御朱印は、社名を中心に大書されることが多いのが、当社の御朱印は主祭神である大国主命が大書されているのが特徴。それも含め、御朱印でも「えんむすび」を推している。
【ご利益】
縁結び、子授け安産、芸能、長寿、旅行・交通安全、学問など(公式HP)

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