加藤清正を「セイショコさん」として祀る、熊本県下有数の神社の一つ
[住所]熊本県熊本市中央区本丸2−1
[電話]096-352-7316

加藤神社(かとうじんじゃ)は、熊本県熊本市、熊本城内ににある神社。近代社格では県社。別名は錦山神社(にしきやまじんじゃ)。正月三が日の参拝者数は、藤崎八旛宮に匹敵する賑わいとなる。

加藤清正公を主祭神とし、御祭神に殉じた大木兼能公、韓人金官公を配祀する。当地では「セイショコさん」として親しまれている。毎年7月第四日曜日は清正公まつり(せいしょこまつり)が執り行われる。

元は慶長16年(1611年)の清正の歿後に清正を祀った浄地廟であった。慶長19年(1614年)、火災で焼失した本妙寺が浄地廟に移された。

後述のように、清正信仰は明治期以降盛り上がるが、江戸期においても貝洲加藤神社に分霊を勧請するなど、現在の熊本県では広く信仰されていた。

神仏分離により明治元年(1868年)、浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、同4年、浄池廟・本妙寺より神社を分け、熊本城内に社殿を造営して錦山神社とした。同時期に、菊池城内に菊池神社が創建されている。

場所は大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平左衛門丸。同年、大木兼能と金官を合祀。同7年、熊本城内に熊本鎮台が置かれるのに伴い、城外の新堀町(現在の京町一丁目)に遷座し、翌8年県社列格、同10年2月、西南戦争により社殿を焼失し(神体は健軍神社に避難していた)、明治17年に再建した。

明治42年(1909年)に、錦山神社から現社号に改称。乃木希典も加藤清正を信仰していたこともあり、各地に分霊を祀る同名神社ができた。同44年にはハワイに、大正3年(1914年)には日本統治下の朝鮮・京城府(現 大韓民国ソウル特別市)に当社の分霊を祀る同名神社が創建された。

清正を祭る神社は一時90社を数えるが、一部例外(鹿児島県など)を除き全国的に分布し、その約半分は熊本県にある。昭和27年(1952年)、宗教法人加藤神社となった。

昭和37年(1962年)、道路改修のため、熊本城内の現在地に遷座。平成28年(2016年)4月16日の熊本地震で、熊本城の北大手櫓門跡の石垣が崩れ、当社の境内に石が散乱。そのうちの一つの石の側面に観音菩薩が彫られているのが確認された。

7月の清正公まつりのほか、毎年4月24日には「春季大祭 献幣の儀」が斎行される。また、熊本県のゆるキャラ「くまモン」とコラボ、スマホにアプリをインストールすると、境内で記念撮影できる仕組みを用意している。

参拝すれば、御朱印を頂ける。通常の神社の御朱印では、社名を中心に、大書されることが多いのが、当社の御朱印は主祭神である加藤清正公を中心に添え、「仰清正公」と大書されるのが特徴。

【ご利益】
肥後総鎮護、各種産業、学問、建築・土木など(公式HP
加藤神社 - 加藤清正を「セイショコさん」として祀る、熊本県下有数の神社の一つ
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加藤神社の御朱印