茨城県内最多の参拝者、坂本九が終生崇敬した、創建1400年の古社
[住所]茨城県笠間市笠間1
[電話]0296-73-0001

笠間稲荷神社 (かさまいなりじんじゃ)は、茨城県笠間市にある神社。近代社格では村社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

別称として、胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷などがある。参拝すれば、御朱印を頂ける。

京都市の伏見稲荷大社などとともに日本三大稲荷の一社ともされる。当社自身は、伏見稲荷大社、当社、そして佐賀県鹿島市の祐徳稲荷神社を日本三大稲荷としている。

また、東京都北区王子の装束稲荷神社、神奈川県泰野市の白笹稲荷神社とともに、関東三大稲荷と呼ばれる。

御祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)。五穀豊穣、商売繁盛の神として古くから厚く信仰され、関東はもとより日本各地から年間350万人の参拝客が訪れる。

また、正月三が日の初詣には80万人以上の参拝者が訪れ、初詣参拝者数で茨城県1位。臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選補遺」として掲載されている。

社伝では白雉2年(661年)に創建されたとされるが、近世までの沿革は不詳。『常陸国風土記』によると、7世紀ごろにはすでに当地で宇迦之御魂神への信仰が行われたと記されている。

江戸時代になると広く知られるようになり、歴代の笠間藩主が厚く崇敬した。

3代藩主松平康長や忠臣蔵で有名な浅野家なども、転封し笠間を離れても分霊を新たな領地で祀るなど、庶民のみならず歴代藩主からも手厚い信仰を受けてきた。

東京都中央区日本橋浜町には、当時の笠間城主牧野家の下屋敷があり、その地には藩主が笠間稲荷神社より分霊を受けて建てられた笠間稲荷神社東京別社がある。

本殿が国の重要文化財に指定されている。万延元年(1860年)建立で、外陣(本殿)、内陣(旧拝殿)からなる複合社殿として知られている。

「芸術の森から佐白山・笠間稲荷へのみち」として、美しい日本の歩きたくなるみち500選に選ばれている。

11月に、新婚夫婦を迎えて「狐の嫁入り」伝説を再現する催しが開かれる。

日本で一番長い巡路を持つ七福神詣として知られる常陸七福神めぐりでは、大黒天に擬せられている。筑波山神社が恵比須。

歌手・坂本九が、幼少期の事故を契機に「笠間稲荷神社の神様が自分を救ってくれた」として、終生信仰した。当社で結婚式を挙げている。

日航機事故で落命した際、当社のペンダントが遺体の身元を特定する決め手となったという。

日本三大稲荷は伏見稲荷大社以外の残り二社について諸説あるが、当社以外に、祐徳稲荷神社、愛知県豊川市の豊川稲荷妙厳寺がそれぞれ当社を含めて日本三大稲荷としている。

なお、式内論社の佐志能神社などを兼務している。

【ご利益】
生命の根源を司る「いのち」の根の神、農業・工業・商業・水産業の守護神(公式HP
笠間稲荷神社 - 茨城県内最多の参拝者、坂本九が終生崇敬した、創建1400年の古社
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