九州で参拝客が二番目に多い、衣食住、生活全般、福徳の守護神
[住所]佐賀県鹿島市古枝
[電話]0954-62-2151

祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)は、佐賀県鹿島市にある神社。近代社格は県社。現在は神社本庁の別表神社。別名として鎮西日光。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

伏見稲荷大社
(京都市)などとともに日本三大稲荷の一社ともされる。当社自身は、伏見稲荷大社、当社、そして笠間稲荷神社(茨城県笠間市)を日本三大稲荷としている。

年間300万人の参詣者が訪れ、九州の神社としては太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に次ぐ参拝客数を誇る。

高橋稲荷神社
(熊本県熊本市)、扇森稲荷神社(大分県竹田市)とともに、九州三大稲荷とも。衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。

鹿島藩主鍋島直朝夫人で、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛(まんこひめ)が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。

御祭神は、倉稲魂大神大宮売大神猿田彦大神。伏見稲荷大社と比べて、大国主命と同一神とされる田中大神が祀られていない。同じような形態に、京都市の武信稲荷神社などがある。

貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。

以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、御祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。

明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、現社号に改称。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。

現在の本殿は、昭和初期に建て直されたものが昭和24年(1949年)に焼失したあと、伊勢神宮造営局長の角南隆が設計して昭和32年(1957年)に再建されたもので、三代目である。主要建物は総漆塗りである。

斎藤茂吉は「祐徳院稲荷にも吾等まうでたり遠く旅来しことを語りて」と、野口雨情は「肥前名所は祐徳稲荷 運と福との授け神」と、それぞれ詠った詩を残している。

錦波川を境として西側に本殿、神楽殿、楼門がある。楼門から北側には参集殿、更にその北側には日本庭園がある。

境内入口より北から祐徳バス門前出張所(祐徳神社前バス停)までの間の参道には門前商店街が軒を並べ、その北端には3000台が駐車できる無料駐車場がある。

錦波川東の駐車場脇には神社が所蔵する美術工芸品や鎧・刀・鹿島錦など郷土の資料を展示した祐徳博物館が設置されている。

境内には石壁神社のほか、命婦社(命婦大神)、岩本社(岩本大神)、岩崎社(岩崎大神)、若宮社(文丸命、朝清命)がある。

日本三大稲荷は、伏見稲荷大社以外の残り二社について、諸説あるが、当社以外に、笠間稲荷神社、豊川稲荷妙厳寺(愛知県豊川市)がそれぞれ当社を含めて日本三大稲荷としている。

なお、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。

【ご利益】
衣食住を司り生活全般の守護神、技芸上達と福徳円満の神、交通安全の神(公式HP
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祐徳稲荷神社 佐賀県鹿島市古枝の御朱印