【日刊】日本の城
名称:上野城(うえのじょう)
別称:伊賀上野城、白鳳城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:俳聖殿

住所:三重県伊賀市上野丸之内106
日本100名城:第47番
  - スタンプ:大天守閣1階

上野城(うえのじょう)は、伊賀国(今の三重県伊賀市)にあった、日本の城である。築城年は天正13年(1585年)、廃城年は明治4年(1871年)。天守は、1935年に木像で層塔型3層3階が再建された。主な築城者は筒井定次で、主な改修者は筒井定次、藤堂高虎である。

城のある丘は平清盛の発願によって建立された平楽寺という大寺院があった。その後、伊賀上野城西の丸と後世に呼ばれることとなる丘陵には伊賀の守護大名である仁木氏館(伊賀の守護所)があった。

しかし仁木氏は室町時代半ばから衰退が始まり、戦国時代には名ばかりの守護に。特に中部以外の、北・南伊賀には影響が及ばなくなり、権威を回復しようと合戦を起こすもその都度敗走し、柘植氏と戦った際には当主が討たれた。その後、仁木氏は一時滅亡。

後に仁木義視が織田信長の援助で守護に返り咲いたが、国人の支持を得られず再び追放され伊賀は反織田の姿勢を明確にした(伊賀惣国一揆)。

天正7年(1579年)9月、伊勢の織田信雄が8000の兵を率いて伊賀平定(天正伊賀の乱)に乗り出したが、伊賀衆の前に大敗、天正9年(1581年)9月に信雄の父織田信長は4万5000の兵で伊賀を平定。

信雄の家臣である滝川雄利を伊賀守護に。雄利は大寺院、丸山城、滝川氏城を改修し伊賀を支配した。本能寺の変後豊臣政権となると、天正12年(1584年)10月に羽柴秀吉の家臣脇坂安治が伊賀守護となったが、天正13年(1585年)5月に摂津に移封された。

脇坂安治の移封から3ヶ月後の8月、大和郡山城から羽柴の姓を賜った筒井定次が伊賀へ移り住んだ。定次は天正伊賀の乱で焼け落ちた平楽寺、仁木古館跡に築城することに。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると定次は東軍の徳川家康方につき会津征伐に参戦、上野城は筒井玄蕃が留守居役としたが、上野城を西軍の摂津高槻城主新庄直頼・直定父子に攻撃された際、筒井玄蕃は戦わず城を明け渡し高野山に逃亡。

定次は家康の許しを得て直ちに軍を引き返し、城を再奪取し事なきを得た(上野城の戦い)。

関ヶ原の戦い後、新庄直頼父子は改易され定次は本領安堵、伊賀上野藩を立藩した。しかし、家康は大坂城を包囲する必要に迫られ、近江彦根城同様要地である上野城を強固にすべく、家康は定次をかねてから不行状で島清興などの重臣に多く出奔され失策の多いのを理由に、慶長13年(1608年)6月に領地没収、磐城平城主鳥居忠政のもとに預けた(筒井騒動)。

一説には、定次がキリシタン大名で棄教を聞き入れなかったためとも言われている。

同年8月、伊予宇和島城から築城の名手とされる藤堂高虎が伊賀に入国した。大坂城に対抗する以外にも、大和・紀伊を抑える目的もあった。高虎は慶長16年(1611年)正月より、上野城の大幅な改修に着手、大坂方に対抗するために特に西方面の防御に力をそそいだ。

南側を大手とし、堀を深く、南に二ノ丸を構築。天守の位置を西側に移動し、今治城天守を移築しようとしたが、天下普請となった丹波亀山城に献上したため新規に5層天守を建設。

筒井時代は、上野城は大坂城を守る出城としての機能を持った城であったのに対して、藤堂時代は大坂城を攻めるための城というまったく正反対の立場をとった城となった。

東西十三間、南北十一間、高さ五間の天守台を築いた。天守閣の建設は5人の大工棟梁の分担工事とし、互いを競わすなどされていたが、完成をひかえた慶長17年(1612年)9月2日、大嵐のため三層目が西南に吹き倒れ、その上に五層目が落ち天守は倒壊。大工や人夫合せて約180名が倒死、また多数の怪我人をだした。

慶長19年(1614年)、元和元年(1615年)の2度に渡る大坂の陣で家康の勝利となり、豊臣氏の滅亡で堅固な城が必要なくなり、天守は再建されなかった。本丸に櫓は建てられなかったが、外堀の土塁上には、二層櫓が二棟、単層櫓が八棟、計十棟の櫓が建てられ、長さ二十一間、両袖に七間の多聞櫓をつけた東大手門、西大手門も建てられた。

高虎は大坂の陣が終わった後、交通の便利がいい津城を本城とし、上野城を支城とした。

一国一城令で上野城は伊賀の城として存続が認められると、高虎は弟の藤堂高清を城代とし、高清の死後は藤堂元則が城代となり、文政8年(1825年)に藤堂高猷が最後の城主となるまで藤堂氏の世襲とした。

キャラクター(ゆるキャラ)は、た伊賀―くんである。関連情報はこちらのサイトに詳しい。
上野城 伊賀国(三重県伊賀市) - サムネイル写真
【関連サイト】
伊賀上野城(伊賀文化産業協会)

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