関東地方屈指の聖地、男体山・女体山の東西峰の筑波山を神体山とする
[住所]茨城県つくば市筑波1番地
[電話]029-866-0502

筑波山神社(つくばさんじんじゃ)は、茨城県つくば市にある神社。関東平野北東部、茨城県南西に立つ筑波山を御神体山として祀る。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 筑波郡「常陸国筑波郡 筑波山神社二座 一座名神大 一座小」に比定される式内社(一座は名神大社、一座は小社)。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社

主要社殿は、男体山本殿(西峰頂上、男体山<なんたいさん>、標高871メートル)、女体山本殿(東峰頂上、女体山<にょたいさん>、標高877メートル)、両本殿を遥拝する拝殿(山腹、標高270メートル)からなる。

筑波山は西峰・東峰からなる双耳峰であり、当社の本殿はその両山頂に1棟ずつ鎮座している。境内は広大で、筑波山南面の海抜270メートルの線(拝殿)以上を社地とし、その面積はおよそ354ヘクタールにも及ぶ。

主祭神は、筑波男ノ神(つくばおのかみ、筑波男大神)と筑波女ノ神(つくばめのかみ、筑波女大神)。筑波男ノ神は男体山の神で、伊弉諾尊。筑波女ノ神は女体山の神で、伊弉冊尊とする。

陰陽二柱であることは間違いないものの、過去に日本武尊弟橘比売のペア、埴山彦神埴山姫神のペアに当てる説もあったが、明治末年20世紀初頭に現在の御祭神が定められた。

社伝『筑波山縁起』によると、『古事記』にある伊弉諾尊・伊弉冊尊による国産みで産み出された「おのころ島」が筑波山にあたるという。

また『詞林采葉抄』(南北朝時代)では、筑波山は天照大神が降臨した神山であるともいい、文化年間(1804年-1818年)の『筑波山私記』でも同神の筑波から伊勢への遷座を伝える。

筑波山麓には多くの古墳が残っており、うち八幡塚古墳(つくば市沼田、全長90メートルの前方後円墳)は当地及び当社を祭政一致で奉仕した初代筑波国造・阿閉色命(あべしこのみこと)の墓に比定されている。

『万葉集』には筑波の歌25首が載せられており、当時から著名な山であったことが分かる。

また、奈良時代末から平安時代初め頃には、法相宗の僧・徳一が筑波山寺、のちの筑波山知足院中禅寺を開いた。

これにより神仏習合が進み、筑波山は有数の修験道の道場に発展していく。この神仏習合の時代には「筑波両大権現(両部権現)」とも称された。

国史では、古くは弘仁14年(823年)に従五位下の筑波神を官社と為すという記事が見える。

筑波郡では唯一の式内社に列しているが、うち名神大社が筑波男神、小社が筑波女神とされる。その後、治承4年(1180年)には正一位に達したという。

鎌倉時代初期には常陸国守護の八田知家(小田氏祖)の子・八郎為氏が筑波国造の名跡を継ぎ、筑波別当となった。この筑波為氏(明玄)の子孫は以後筑波氏を称し、筑波神奉斎者・中禅寺別当を担った。

中世の動向は明らかでないが、慶長5年(1600年)に徳川家康により筑波氏が外されるまで、筑波神・中禅寺は筑波氏の統率下にあったとされる。

江戸時代に入ると、幕府は中禅寺を篤く保護し、中禅寺境内には多くの堂塔が建立され、筑波山は神仏共立から仏教中心の霊地へと性格を変えた。

こうした中禅寺に対する庇護の一方で、筑波神の影は薄く、この間の筑波神の奉斎形態は明らかでない。

幕末には、元治元年(1864年)に天狗党が当地で挙兵し、天狗党の乱の舞台ともなった(筑波山事件)。

明治維新後、神仏分離によって中禅寺は廃寺。これにより伽藍の多くが破壊されたが、数棟のみ破壊を免れて現在に文化財として残っている。

また、この神仏分離により当社が復興、その主要部は中禅寺の跡地を踏襲して形成され、現在に至っている。

古くからの参道は「つくば道」として知られる。つくば市北条を起点として拝殿に至る道で、現在は茨城県道139号筑波山公園線が踏襲する。その全区間が日本の道100選に選ばれている。

またこの参道の途中、6丁目には一の鳥居が立っている。この鳥居は宝暦9年(1759年)の造営で、以前は「天地開闢 筑波神社」の額を掲げたという。春秋の御座替祭の際には拝殿からこの地点まで神幸がある。

摂社として、稲村神社(いなむらじんじゃ。天照大御神。「高天原」という巨石の上に鎮座)、安座常神社(あざとこじんじゃ。素盞鳴尊)、小原木神社(こはらぎじんじゃ。月読尊)、渡神社(わたりじんじゃ。蛭子命)がある。

摂社各社はいずれも主祭神の御子神であり、かつては筑波山神社元里宮である六所神社(つくば市臼井)で主祭神二柱、摂社四柱の六所として祀られていた。

明治43年(1910年)に廃社となり、神霊は神郡地区の蚕影神社(蚕影山神社)に合祀された。

例大祭は4月1日と11月1日の年二回行われ、「御座替祭」と呼ばれる。古くは冬至と夏至に行われており、夏・冬の神、里宮と山宮の神が神座を交替するとされる。

日本で一番長い巡路を持つ七福神詣として知られる常陸七福神めぐりでは、恵比須に擬せられている。笠間稲荷神社が大黒天。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
縁結び、夫婦和合、家内安全、子授け、子育て、開拓、国家運営、社運隆昌など(公式HP
筑波山神社 - 関東地方屈指の聖地、男体山・女体山の東西峰の筑波山を神体山とする
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