四道将軍が崇敬した古社、ドラえもん神社として親しまれる
[住所]静岡県富士市浅間本町5-1
[電話]0545-52-1270
富知六所淺間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は、静岡県富士市にある神社。
『延喜式神名帳』にある「富知神社(駿河国・富士郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社、現在は神社本庁の別表神社。
通称は三日市浅間。一部ではドラえもん神社とも。全国にある浅間神社の一社で、富士下方五社(五社浅間)の「六所宮」にあたり、首座である。
主祭神は大山祇命、相殿神として木花開耶姫命、深淵之水夜礼花神、阿波乃咩神、大山咋神、高龗神を祀る。
通常、浅間神社といえば木花開耶姫命を主神とするが、当社はその父神の大山祇命を主祭神としている。その他、珍しい神を相殿神としているのも特徴。
深淵之水夜礼花神は、『古事記』に神の系列で登場する神。スサノヲの曾孫、オオヤマツミの孫にあたる。
ちなみに、オオヤマツミはスサノヲにとって義理の父(義理の祖父とも。スサノヲはオオヤマツミの娘、孫娘を複数娶っている)。深淵之水夜礼花神はオオクニヌシの祖父にもあたる。
阿波乃咩神は、事代主命の后神、あるいは味鋤高彦根命の后神とも言われる、天御梶日女神、天津羽々命と同神だとされる神。
第5代孝昭天皇2年6月10日、富士山山腹に創建と伝えられる。第10代崇神天皇が四道将軍として派遣した建沼河別命は、当社を厚く崇敬し、勅幣を奉った。
噴火のため延暦4年(785年)に現在地に遷座。大同元年(806年)、富士下方五社を勧請する際に、当社はそれらの首座と定められた。その後、下方五社の別当である富士山東泉院の支配を受けた。
弘仁2年(811年)、嵯峨天皇の中宮安産祈祷後は、勅願所として事あるごとに国家安泰の祈祷が行われた。中世、周辺に市が立ち、「三日市浅間」と呼ばれるようになった。
明治5年(1872年)に郷社に列せられ、現社号に改称。富知は式内社名を意識してのこと。なお、式内社「富知神社」の論社は他に、富士宮市の富知神社(ふくちじんじゃ)がある。
現在の本殿は宝暦12年(1762年)に、拝殿は江戸時代後期に造営されたものである。
近年、腐食などで老朽化が進み、耐震補強も困難なことから、遷座1220年・下方五社勧進1200年の記念事業として、社殿の建設及び神域の整備事業を行った。
社殿の東側に、御神木のクスノキがある。樹齢約1200年と伝えられている。周囲11.85メートル、樹高13.4メートル。県の天然記念物に指定されている。
当社には、富士市内から七五三参拝客が多く訪れる。そのため、子どもたちに親しみをもってもらうようにと、境内の各所にドラえもんのキャラクターの石像を置いている。
御守などにも趣向をこらしたものが多く、一部では「ドラえもん神社」の名が定着している。
【ご利益】
安産、子どもの成長など(静岡県神社庁)

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・静岡県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
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富知六所淺間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は、静岡県富士市にある神社。
『延喜式神名帳』にある「富知神社(駿河国・富士郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社、現在は神社本庁の別表神社。
通称は三日市浅間。一部ではドラえもん神社とも。全国にある浅間神社の一社で、富士下方五社(五社浅間)の「六所宮」にあたり、首座である。
主祭神は大山祇命、相殿神として木花開耶姫命、深淵之水夜礼花神、阿波乃咩神、大山咋神、高龗神を祀る。
通常、浅間神社といえば木花開耶姫命を主神とするが、当社はその父神の大山祇命を主祭神としている。その他、珍しい神を相殿神としているのも特徴。
深淵之水夜礼花神は、『古事記』に神の系列で登場する神。スサノヲの曾孫、オオヤマツミの孫にあたる。
ちなみに、オオヤマツミはスサノヲにとって義理の父(義理の祖父とも。スサノヲはオオヤマツミの娘、孫娘を複数娶っている)。深淵之水夜礼花神はオオクニヌシの祖父にもあたる。
阿波乃咩神は、事代主命の后神、あるいは味鋤高彦根命の后神とも言われる、天御梶日女神、天津羽々命と同神だとされる神。
第5代孝昭天皇2年6月10日、富士山山腹に創建と伝えられる。第10代崇神天皇が四道将軍として派遣した建沼河別命は、当社を厚く崇敬し、勅幣を奉った。
噴火のため延暦4年(785年)に現在地に遷座。大同元年(806年)、富士下方五社を勧請する際に、当社はそれらの首座と定められた。その後、下方五社の別当である富士山東泉院の支配を受けた。
弘仁2年(811年)、嵯峨天皇の中宮安産祈祷後は、勅願所として事あるごとに国家安泰の祈祷が行われた。中世、周辺に市が立ち、「三日市浅間」と呼ばれるようになった。
明治5年(1872年)に郷社に列せられ、現社号に改称。富知は式内社名を意識してのこと。なお、式内社「富知神社」の論社は他に、富士宮市の富知神社(ふくちじんじゃ)がある。
現在の本殿は宝暦12年(1762年)に、拝殿は江戸時代後期に造営されたものである。
近年、腐食などで老朽化が進み、耐震補強も困難なことから、遷座1220年・下方五社勧進1200年の記念事業として、社殿の建設及び神域の整備事業を行った。
社殿の東側に、御神木のクスノキがある。樹齢約1200年と伝えられている。周囲11.85メートル、樹高13.4メートル。県の天然記念物に指定されている。
当社には、富士市内から七五三参拝客が多く訪れる。そのため、子どもたちに親しみをもってもらうようにと、境内の各所にドラえもんのキャラクターの石像を置いている。
御守などにも趣向をこらしたものが多く、一部では「ドラえもん神社」の名が定着している。
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