三河国二宮、東海道三大社の一つ、5月の知立まつり、花しょうぶ祭が有名
[住所]愛知県知立市西町神田12
[電話]0566-81-0055

知立神社(ちりゅうじんじゃ/ちりふじんじゃ)は、愛知県知立市にある神社。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 三河国 碧海郡「知立神社」に比定される式内社(小社)。三河国二宮で、近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社

旧称は「池鯉鮒大明神」。江戸時代には東海道三大社の一つに数えられた。他の二社は三嶋大社(静岡県三島市)と熱田神宮(愛知県名古屋市)。

主祭神は鸕鶿草葺不合尊。主祭神の父である彦火火出見尊、養母で妻である玉依比売命、子である神日本磐余彦尊を祀る。

相殿神として、碧海地方の開拓にあたったと伝える青海首命(あおみのおびとのみこと)、聖徳太子を祀る。

社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神の上記四柱を祀ったのが創建。一方、第14代仲哀天皇元年の創建とする説もある。

江戸時代まで当社の神主家であった永見家の『永見氏家譜』によれば、その出自について、饒速日尊の後裔で知波屋見命(知波夜命:初代三河国造)十五世孫の三河姓貞連。

その貞連が、白鳳2年(662年)に天武天皇の勅命により知立神主になったとしている。

国史では、「知立神(智立神)」の神階が仁寿元年(851年)に従五位上に昇叙されたのが初見で、その後順次上昇していく。

いずれの記事でも砥鹿神(愛知県豊川市の三河国一宮である砥鹿神社)と併記され、六国史終了時点の神階は三河国内では砥鹿神とともに最高位になる。

『参河国名所図絵』に「さなげ社伝に云、一宮とか神社(砥鹿神社)、二宮知立神社、三宮さなげ神社(猿投神社)」と見える。

正安3年(1301年)筆の社蔵扁額「正弌位智鯉鮒大明神」があり、また『三河国内神名帳』(慶安2年(1649年)書写本)では正一位の極位に達している。

当初の鎮座地は東へ約1キロの山町の高地だった。中世には水野氏の崇敬を受け、文明3年(1471年)3月に水野直守が社殿を修造した。

戦国時代の大永6年(1526年)には水野忠政も修理を行なったが、天文16年(1547年)の兵火で焼失し、重原に遷座した。

元亀2年(1571年)にはさらに現在地に遷座し、水野信光から社殿修造と社領10石の寄進があった。江戸時代に入り、寛文年間(1661年-1672年)には松平忠房から社領として10石が追加寄進された。

江戸時代には、近隣二十数か村の産土神として、また蝮除け・長虫除け・雨乞・安産の神として信仰された。特に神札を身につければ蝮蛇に咬まれないとされ、北関東から山陰地方に至る各地に分社が建てられた。

摂社として、主祭神の母である豊玉姫命を祀る親母神社(うばがみしゃ)や、当社創建に奉行として携わったとする吉備武彦命を祀る土御前社(つちのごぜんしゃ)がある。

室町時代の築造となる多宝塔(建造物)が国の重要文化財に指定されている。嘉祥3年(850年)の慈覚大師(円仁)によって建立された当社の神宮寺にちなむもの。

江戸期には寛永寺末として「総持寺」を称し、当社の別当寺となっていたが、明治期に廃された。

5月3日とその前日に行われる例祭(知立祭り/知立まつり)では、山車5台を奉納する本祭と花車5台を奉納する間祭(あいまつり)が1年おきに行われる。

知立の山車文楽とからくり」として重要無形民俗文化財に指定されている。また、5月下旬から6月にかけて行われる花しょうぶ祭も有名。

【ご利益】
蝮除け・長虫除け・雨乞・安産の神(公式HP
知立神社 - 三河国二宮、東海道三社の一つ、5月の知立まつり、花しょうぶ祭が有名
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