20年と60年に一度の大祭が有名な播磨国総社、姫路城近く官兵衛ゆかり
[住所]兵庫県姫路市総社本町190
[電話]079-224-1111
射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は、兵庫県姫路市総社本町にある神社。播磨国総社で、播磨地域では濁らずに「そうしゃ」「そうしゃさん」と呼ばれる。
正式社号が難しいためか、一般には播磨国総社の名称が使用される場合もある。姫路城の中曲輪内に位置し、近くには兵庫縣姫路護國神社や姫路神社がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 餝磨郡「射楯兵主神社二座」に比定される式内社(小社)の論社。兵主神社の一つ。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。
60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。御祭神は、射楯大神(本殿の東殿)と兵主大神(本殿の西殿)。中央殿は空殿、神饌を献ずる際に西殿から行う。
射楯大神は五十猛尊と同体とされる。兵主大神は、伊和大神とも呼ばれ、播磨国一宮である伊和神社の御祭神である大国主命と同体だという。
飾磨郡伊和里(姫路市街地周辺)は伊和族の平野部においての拠点だったようだ。
『播磨国風土記』では、8世紀以前に飾磨郡因達里(いたてのさと)因達神山(比定地:八丈岩山、姫路市辻井・田寺・新在家)に伊太代神(射楯神)とある。
奈良時代の天平宝字8年(764年)6月11日、飾磨郡伊和里水尾山(姫路市山野井町にある水尾神社)に兵主神を祭祀した。
その後、平安時代の延暦6年(787年)、同郡国衙小野江の梛本(姫路市本町、現社殿地の北方約500メートル)に遷座。
『延喜式神名帳』の記述により、延長5年(927年)までに射楯神が合祀されていることが分かる。
養和元年(1181年)、播磨国16郡174座の大小明神社を合祀し、播磨国総社・府中社と称する。
戦国時代の永禄10年(1567年) 、黒田職隆の命により拝殿と御神門を修復。この際、屋根が板葺きから瓦葺きに葺き替えられた。
安土桃山時代の天正9年(1581年)、羽柴秀吉が姫路城を築城するのに伴い、現在地に遷座した。
黒田家系譜によると豊臣秀吉より軍陣において旗を立てる許しを得た黒田官兵衛は、父・職隆と相談し、当社で7日間にわたり祈祷を行い、父子共々、毎日参詣したという。
神宮寺として般若院(般若寺)があった。また、播磨天台六山(書写山圓教寺・増位山随願寺・法華山一乗寺・八徳山八葉寺・妙徳山神積寺・蓬莱山普光寺)による大般若会が行われていた。
江戸時代には、姫路藩主の崇敬が篤かったと伝えられる。
昭和20年(1945年)の姫路空襲で焼失。戦後まもなくして再建。平成18年(2006年)11月になって西参道に総社御門が再建された。
例大祭は11月13日から16日まで。霜月例大祭と呼ばれる。播磨国総社となった11月15日を祝ったもの。姫路祭とも。神幸祭で神輿が巡幸する。
普段は中央殿は空殿となっているが、例大祭の時のみ、本殿大床中央に神籬を儲け、九所御霊神を祀る。例祭は、姫路の総社祭とも呼ばれ、播州三大祭りの一つとも。
三ツ山の雛型が国の有形民俗文化財、一ツ山大祭と三ツ山大祭が国選択、県指定の無形民俗文化財に指定されている。
現在では5種の神事-流鏑馬・競馬(くらべうま)・神子(みこ)渡り・一つ物・弓鉾指(ゆみほこさし)が行われる。
三ツ山大祭は平成25年に第22回弐式三ツ山大祭が開催されたため、次回は2033年。丁卯の年に行われる一ツ山大祭は次回、2047年となる。
伊勢の神宮(伊勢神宮)が20年ごとに行う遷宮にあわせて新調される御神宝が下げ渡されることがある神社としても知られている。一部の御神宝は当社において一般公開されている。
なお、式内社「射楯兵主神社二座」の論社は他に、辻井の行矢射楯兵主神社、廣峯神社がある。
【ご利益】
縁結び、幸福増進、災厄祓いなど(公式HP)

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射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は、兵庫県姫路市総社本町にある神社。播磨国総社で、播磨地域では濁らずに「そうしゃ」「そうしゃさん」と呼ばれる。
正式社号が難しいためか、一般には播磨国総社の名称が使用される場合もある。姫路城の中曲輪内に位置し、近くには兵庫縣姫路護國神社や姫路神社がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 餝磨郡「射楯兵主神社二座」に比定される式内社(小社)の論社。兵主神社の一つ。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。
60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。御祭神は、射楯大神(本殿の東殿)と兵主大神(本殿の西殿)。中央殿は空殿、神饌を献ずる際に西殿から行う。
射楯大神は五十猛尊と同体とされる。兵主大神は、伊和大神とも呼ばれ、播磨国一宮である伊和神社の御祭神である大国主命と同体だという。
飾磨郡伊和里(姫路市街地周辺)は伊和族の平野部においての拠点だったようだ。
『播磨国風土記』では、8世紀以前に飾磨郡因達里(いたてのさと)因達神山(比定地:八丈岩山、姫路市辻井・田寺・新在家)に伊太代神(射楯神)とある。
奈良時代の天平宝字8年(764年)6月11日、飾磨郡伊和里水尾山(姫路市山野井町にある水尾神社)に兵主神を祭祀した。
その後、平安時代の延暦6年(787年)、同郡国衙小野江の梛本(姫路市本町、現社殿地の北方約500メートル)に遷座。
『延喜式神名帳』の記述により、延長5年(927年)までに射楯神が合祀されていることが分かる。
養和元年(1181年)、播磨国16郡174座の大小明神社を合祀し、播磨国総社・府中社と称する。
戦国時代の永禄10年(1567年) 、黒田職隆の命により拝殿と御神門を修復。この際、屋根が板葺きから瓦葺きに葺き替えられた。
安土桃山時代の天正9年(1581年)、羽柴秀吉が姫路城を築城するのに伴い、現在地に遷座した。
黒田家系譜によると豊臣秀吉より軍陣において旗を立てる許しを得た黒田官兵衛は、父・職隆と相談し、当社で7日間にわたり祈祷を行い、父子共々、毎日参詣したという。
神宮寺として般若院(般若寺)があった。また、播磨天台六山(書写山圓教寺・増位山随願寺・法華山一乗寺・八徳山八葉寺・妙徳山神積寺・蓬莱山普光寺)による大般若会が行われていた。
江戸時代には、姫路藩主の崇敬が篤かったと伝えられる。
昭和20年(1945年)の姫路空襲で焼失。戦後まもなくして再建。平成18年(2006年)11月になって西参道に総社御門が再建された。
例大祭は11月13日から16日まで。霜月例大祭と呼ばれる。播磨国総社となった11月15日を祝ったもの。姫路祭とも。神幸祭で神輿が巡幸する。
普段は中央殿は空殿となっているが、例大祭の時のみ、本殿大床中央に神籬を儲け、九所御霊神を祀る。例祭は、姫路の総社祭とも呼ばれ、播州三大祭りの一つとも。
三ツ山の雛型が国の有形民俗文化財、一ツ山大祭と三ツ山大祭が国選択、県指定の無形民俗文化財に指定されている。
現在では5種の神事-流鏑馬・競馬(くらべうま)・神子(みこ)渡り・一つ物・弓鉾指(ゆみほこさし)が行われる。
三ツ山大祭は平成25年に第22回弐式三ツ山大祭が開催されたため、次回は2033年。丁卯の年に行われる一ツ山大祭は次回、2047年となる。
伊勢の神宮(伊勢神宮)が20年ごとに行う遷宮にあわせて新調される御神宝が下げ渡されることがある神社としても知られている。一部の御神宝は当社において一般公開されている。
なお、式内社「射楯兵主神社二座」の論社は他に、辻井の行矢射楯兵主神社、廣峯神社がある。
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