【日刊】日本の城
名称:山中城(やまなかじょう)
別称:-

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:静岡県三島市山中新田
日本100名城:第40番
  - スタンプ:山中城跡売店内
山中城(やまなかじょう)は、伊豆国(今の静岡県三島市)にあった日本の城である。北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城の一つ。

三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており、北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっている。

また、北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される。

現在は中断されているが、2012年まで、5月の第三日曜日に山中城まつりが開催されていた。

永禄年間(1558年-1570年)に北条氏康により築城される。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られていた。

北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず、未完成のまま豊臣軍を迎える。

1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、守将である北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら4000は奮戦し、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、猛烈な力攻めの結果、わずか半日で落城、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した。

小田原戦後、城は廃止された。
山中城 伊豆国(静岡県三島市) - サムネイル写真
【関連サイト】
山中城跡公園|三島市観光情報 - 三島市観光協会