そもそもが戦勝記念の創祀、今や勝運と馬・競馬の代表的な神様
[住所]京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
[電話]075-641-1045

藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、京都府京都市伏見区にある神社。近代社格では府社。5月5日に行われる駈馬神事や、菖蒲の節句の発祥地として名高い。

6月から7月にかけて紫陽花苑が公開され、3500株にもおよぶ紫陽花が見もの。参拝すれば、御朱印を頂ける。京都十六社朱印めぐりの一社。

本殿(中座)に主祭神である素盞嗚命と、別雷命(賀茂別雷命=賀茂別雷神社の御祭神)、日本武命応神天皇神功皇后武内宿禰仁徳天皇を祀る。

東殿(東座)に天武天皇と崇道尽敬皇帝(舎人親王)を、西殿(西座)に崇道天皇(早良親王)と伊予親王、井上内親王を祀る。

現在は、素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」にも加盟している。

社伝では、神功皇后摂政3年(203年)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に纛旗(とうき、いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしている。

当初の御祭神は、現在本殿に祀られる7座であった。藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地である。その地に稲荷神が祀られることになったため、当社は現在地に遷座した。

そのため、伏見稲荷大社周辺の住民は現在でも当社の氏子である。なお、現在地はもとは真幡寸神社の社地であり、この際に真幡寸神社も現在地、つまり城南宮の地に遷座した。

この遷座時期は不明だが、この関係で、当社を『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 紀伊郡「真幡寸神社二座」に比定される式内社(小社)の参考社とする説がある。

東殿は、天平宝字3年(759年)に藤尾の地に崇道尽敬皇帝(舎人親王)を祀る神社として創建されたもので、元は藤尾社と称していた。永享10年(1438年)に当社に合祀された。

西殿は、延暦19年(800年)に早良親王を祀る神社として塚本の地に創建され、文明2年(1470年)に当社に合祀された。早良親王は生前当社を崇敬していた。

陸奥で反乱が起こった時、早良親王は征討将軍となり当社に詣でて戦勝を祈願した。その出陣の日が5月5日で、これが現在の駆馬神事につながる。

室町時代の建築物である、境内社八幡宮本殿、境内社大将軍社社殿、また木造狛犬 一対、紫糸威鎧 大袖付(附:阿古陀形二十八間筋兜、大立挙臑当残欠)が国の重要文化財に指定されている。

駆馬や菖蒲→尚武・勝負の連想、武神が多く祀られていること、また明治時代から第二次世界大戦終了まで周辺が軍用地であったことから、馬と武運の神社として信仰を集めた。

現在は馬と勝負事の神社として知られており、競馬関係者・ファンの参拝客も多い。

また『日本書紀』の編纂を行った舎人親王を祀ることから、学問、特に受験での勝運をもたらす神社とされる。

神社の森は東隣にある京都教育大学の豊かな樹木群に連なっており、一体化した森のようになっている。

腰痛が治るといわれる不思議な木「いちいの木」がある。新選組の近藤勇も参拝したと伝わる。京都のパワースポットの一つ。

オンラインゲームで人気の『刀剣乱舞』に、「鶴丸国永」が出てくる。これがきっかけで、建勲神社粟田神社豊国神社とともに「京都刀剣御朱印廻り」というイベントが2015年7月に企画されている。専用の御朱印色紙に、特別な御朱印を集められる企画。

なお、大阪府摂津市などに分祀している。

【ご利益】
勝運、学問の神、馬の神(公式HP
藤森神社(京都市) - そもそもが戦勝記念の創祀、今や勝運と馬・競馬の代表的な神様
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