京の七口の一つ粟田口に鎮座する旅立ち守護の神、スサノヲ一族を祀る
[住所]京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1
[電話]075-551-3154

粟田神社(あわたじんじゃ)は、京都府京都市東山区にある神社。近代社格では府社。京の七口の一つである粟田口に鎮座し、古くから旅立ち守護の神として崇敬を集めている。

古くは「感神院新宮」「粟田天王宮」などと呼ばれていたが、明治になり現社号に改められた。参拝すれば、御朱印を頂ける。京都十六社朱印めぐりの一社。

御祭神は、主座が素戔嗚尊大己貴命、左座が八大王子命、右座が櫛稲田姫命神大市比売命、佐須良比売命(さすらひめのみこと)。

左座の八大王子命は、素戔嗚尊の八柱の御子神であり、八島士奴美神、五十猛神、大屋彦神(左記二柱は、大屋毘古神と同神)、大屋津媛神、抓津媛神、須勢理媛神大年神宇迦之御魂神とされる。いわゆる八王子。

佐須良比売命は祓戸四柱の神の一柱である速佐須良比咩(はやさすらひめ)とされる場合もあるが、この場合は、『古事記』に記載はないが、須勢理媛神の母とされる神。

右座には素戔嗚尊の妻3柱の女神が同居していることになる。現在、素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」にも加盟している。

平安時代 清和天皇貞観18年(876年)春に神祇官並びに陰陽寮より「この年隣境に兵災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上。

直ちに勅が発せられ、全国の諸神に御供えをして国と民の安全を祈願した。その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(今の八坂神社)に七日七晩祈願。

その満願の夜、興世の枕元に一人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり」と告げられた。

興世が「このように云われる神は、如何なる神ですか?」と尋ねられると、老翁は「我は大己貴神なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王に縁ある地である。其処に我を祀れ」と言われて消えた。

興世は神意として朝廷に奏上し、勅命により直ちにこの地に社を建てて御神霊を祀った。以上が当社の創建伝承である。

また一説には、第5代孝昭天皇から分かれた粟田氏がこの地を治めていた時に氏神として当社を創建したとも。

10月の体育の日の前日に行われる夜渡り神事、体育の日に行われる神幸祭、15日に行われる例大祭を総称して粟田祭(あわたまつり)、粟田神社大祭(あわたじんじゃたいさい)と呼ばれる。

創建伝承でも八坂神社との強いつながりがうかがえるが、当社の神幸祭に巡行する剣鉾(けんぼこ)は祇園祭の山鉾の原形といわれている。

近年では、青森県のねぶたの原型ともいわれる、世渡り神事の粟田大燈呂が180年ぶりに復活するなど、かつての京の夜の賑わいが取り戻されつつある。

オンラインゲームで人気の『刀剣乱舞』に、「三日月宗近」「一期一振」が出てくる。

これがきっかけで、建勲神社豊国神社藤森神社とともに「京都刀剣御朱印廻り」というイベントが2015年7月に企画されている。専用の御朱印色紙に、特別な御朱印を集められる企画。

境内には、内外宮、春日社、八幡社、天満宮、日吉社、稲荷社、恵比須社などがある。

このうち天満宮は朝日天満宮で、北野天満宮所蔵『日記』(文政6年(1823年))に記載された「洛陽二十五社順拝」において、朝日天神として記される洛陽天満宮二十五社順拝の一社と考えられている。

【ご利益】
旅行守護、厄除、病魔退散、縁結び、安産、経営守護(公式HP
粟田神社 - 京の七口の一つ粟田口に鎮座する旅立ち守護の神、スサノヲ一族を祀る
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