但馬日下部氏の氏神、本殿は室町初期、江戸中期の勅使門が残る式内古社
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[住所]兵庫県朝来市和田山町枚田2014
[電話]079-672-3610

赤淵神社(あかぶちじんじゃ)は、兵庫県朝来市和田山町枚田にある神社。山陰本線の和田山駅の南西約2.5キロ。

『延喜式神名帳』にある「赤淵神社(但馬国・朝来郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創建は、御祭神である赤淵足尼命が亡くなった時、第26代継体天皇25年(531年)とされている。赤淵足尼命は、第9代開化天皇の皇子彦坐王の子孫で、但馬国造だったという。

その孫が日下部表米、表米親王などとも呼ばれる日下部宿禰。

大化3年(647年)、新羅の多くの軍船が但馬の海岸に侵攻、その際、勅命を受けて丹後国与佐郡白糸の浜でこれを迎え撃ち、追い払ったのが日下部宿禰。

新羅軍を隠岐の島より向こうに追い払う際、行きも帰りも日下部宿禰の軍船は鮑(アワビ)に助けられ、凱旋する際には大きな船が先導、港について確認てみると、その船は無人で大きなアワビだけが乗っていた。

日下部宿禰は戦勝が海神の加護と、そのアワビを大事に持ち運び、当社に祀ったという。現在の御祭神は、大海龍王神、赤渕足尼神、表米宿禰神。

大海龍王神は日下部宿禰を救ったアワビに象徴される海神を祀ったもので、赤渕足尼神は日下部宿禰の祖として、表米宿禰神は日下部宿禰の孫とも伝わるが、日下部宿禰その人と考えてもよさそう。

但馬日下部氏の氏神となったと考えられる。『赤淵神社由来記』には、日下部宿禰から、朝倉、絲井、奈佐、日下、八木、本山、太田垣、宿南の各氏が生じたとする。

近隣の和田山の二宮神社にも関連の伝承が残り、日下部宿禰の第二子である朝倉殿が御祭神とも。二宮神社の名称から、往古は当社が一宮と呼ばれていたのかもしれない。

現在も当社ではアワビに関する神事が残り、近隣ではアワビを食さない風習が続いている。また、当社の由緒は表米神社にも関連している。

本殿は、室町時代初期に建てられたもので 三間社流造、こけら葺、国の重要文化財。桁行4.8メートル、梁間3.1メートル。正面と両側面に高欄付縁をめぐらせている。

身舎内部は内陣と外陣に分かれ、正面に格子をはめ、中央には階段がある。再三改修の跡があるものの、蟇股、懸魚、妻窓などに当時の建築様式を残している。

境内に残る勅使門は、勅使参向の際に用いられたもので、元禄7年(1694年)に、八木城主八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政9年(1797年)に修理したもの。

但馬地方では数少ない江戸中期の建物。

【ご利益】
難関突破、戦勝祈願、海上安全、子孫繁栄など
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