楯縫氏ゆかり、四道将軍の伝承が残る式内古社、天智朝から祭礼
川内多々奴比神社(兵庫県篠山市下板井74)
[住所]兵庫県篠山市下板井74
[電話]079-593-0500

川内多々奴比神社(かわうちたたぬひじんじゃ)は、兵庫県篠山市下板井にある神社。通称は一宮、一ノ宮。河内多々奴比神社とも(篠山市)。

『延喜式神名帳』にある「川内多々奴比神社(丹波国・多紀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

『延喜式神名帳』には二座とあるが、現在、主祭神は天照皇大御神で、配祀神が建速素盞嗚命

第10代崇神天皇の御宇、四道将軍として丹波道主命を丹波に派遣した際、当地で苦戦した。そのため、この地に天神地祇に祈請したところ、東山の麓の小川から鳴動し、光り輝くものがあった。

近くに寄ってみると、白髪の老人が白衣を着け、左手に白玉を、右手に剣を捧げながら水上を漂っていた。丹波道主命はこの老人こそ神であると敬うと、老人は玉と剣を授けた。

そして老人は、白玉は天神国神として奉斎し、剣は賊徒を滅ぼせる霊剣であると言って姿を消し、光や振動も止んだ。丹波道主命は大いに喜び、その通りに玉を祀り、当地を平定した。

朝廷に帰還ご報告したところ、勅命により、玉は天照皇大御神として、剣は建速素盞嗚命として、当地に祀った。

「川の内に漂う玉剣」が社号の由来となり、周辺を川内原、東の山を御光嶺、南の山を南光山、氏子を川内の郷というようになった。

異説として、『特選神名牒』『神祇志料』によると、古代より天皇の楯や矛を製作していた氏族集団・楯縫(たてぬい)氏の祖神である彦狭知命(ひこさしりのみこと。フトダマ五神)を祀るとある。

楯縫神社が時代とともに転訛し多々奴比となり(「たてぬい」が「たたぬひ」へ)、御祭神も変わったのではないか、とも。

天智天皇2年(663年)9月9日、勅命によって祭礼が行われるようになる。

また、天武天皇の白鳳元年(672年か)9月9日、国司により社殿が造営される。正暦元年(990年)3月、摂津守源頼光が丹波の賊徒征討の際、太刀一口を奉納。

元弘年間(1331年-1333年)、兵火によって神宝である玉剣を紛失。正平13年(1358年)8月、新たにご神体を制作して、改めて勧請、再興する。

万治元年(1658年)、社殿及び古文書宝物などすべて焼失。源頼光が奉納した太刀は残る。同3年4月、社殿を再建。

明治6年(1873年)10月、村社に列し、大正9年(1920年)5月、郷社に昇格する。

10月9日が大祭。摂社扱いである二宮神社(二ノ宮神社、篠山市上板井)と連携して、下坂井・上坂井の町を挙げて各種神事が行われる。

境内に樹齢300年以上のイチョウがあり、乳柱が多く下垂。このことから、「たらちねの銀杏」と呼ばれ、子育ての神木、長寿の木として崇められている。

当社の東側、近舞線の高架橋の下に「籾塚」と呼ばれる古墳がある。

【ご利益】
子育て、長寿、地域・家内平穏、武運長久、厄祓いなど
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