備後国二宮・式内論社とも、吉備津神社などから勧請の5柱を祀る
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[住所]広島県福山市神辺町八尋1203
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二宮神社(にのみやじんじゃ)は、広島県福山市神辺町八尋にある神社。御祭神は吉備津彦命大倭根子彦太瓊命細比売命吉備武彦命稲田姫命

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 安那郡「多祁伊奈太伎佐耶布都神社」に比定される式内社(小社)の論社。備後国二宮と呼ばれていたとされるが、その他の資料では確認できない。

創立年代は不詳。古来当地には、稲田姫命鎮座のところへ、備後国一宮である吉備津神社より四座を再勧請して合祀し、二宮五社大明神と称した。

備後国二宮として人々の崇敬を受けていたが、幕末の慶応4年(1868年)の神仏分離令により、現社号に改称された。

参道西側にある真言宗大覚寺派蓮乗院は当社の旧神宮寺であり、もともと当社の五躯の仏形御神体は現在蓮乗院に祀られている。

『水野記』によれば、古来社領70貫、社職16人、末社回廊、 鐘楼などを有する大社であったという。

神辺城主杉原盛重(1560年頃)の時、社領25貫に減ぜられ、 さらにに毛利元就の第七子にあたる毛利元康の時にすべて没収された。

社殿は、戦国時代の天文3年(1534年)に火災に遭い、永禄9年(1566年)再建され、杉原盛重などにより御神体五躯(栴檀製)が寄進された。

江戸時代前期の元禄8年(1695年)、水野勝成の四世孫である水野勝慶により社殿が再建され、江戸時代中期の明和元年(1764年)には石鳥居が建立された。

寛政4年(1792年)、随神門の再建が行われたが、江戸時代後期の文化4年(1804年)に再度火災に遭い、文政13年(1830年)、現本殿を再建立した。

昭和28年(1953年)に幣殿、拝殿の新築を行い、昭和54年(1979年)に本殿の屋根を銅板に葺替工事、昭和63年(1988年)に本殿並びに境内の改修工事を行った。

例祭はもともと10月19日だったが、現在は10月10日になっている。境内社に、荒神社、出雲大神、地主大明神、木ノ山様、猿田稲荷、荒岩様、光田稲荷などがある。

地主大明神は、俗名次郎三郎。諱は重宗。八尋村葛原屋敷在住の庄屋である矢田太郎右衛門重得の長子で万治元年(1658年)生まれ。

元禄13年(1700年)の領主松平伊予守の領内検地が過酷だったためにこれに抗議、税率の低減を実現し、死後に祀られた。

式内社「多祁伊奈太伎佐耶布都神社」の論社は他に、市内山野町上原谷の多祁伊奈太岐佐耶布都神社、神辺町上御領の素盞嗚神社などがある。

なお、三次市高杉町の知波夜比古神社も備後国二宮を主張している。

男性アイドルグループ「嵐」(ジャニーズ事務所)のメンバー二宮和也の名前を冠する神社の一つ。嵐神社として有名なのは兵庫県神戸市の同名神社

【ご利益】
五穀豊穣、良縁、縁結びなど
二宮神社(福山市) - 備後国二宮とも、クシナダと吉備津神社から勧請した四柱を祀る
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