「大野神社」含む三つの式内社に比定される古社、「力士まつり」も
[住所]滋賀県高島市マキノ町海津1253-2
[電話]0740-28-0051

海津天神社(かいづてんじんしゃ)は、滋賀県高島市にある神社。近代社格では郷社。御祭神は菅原道真で、天満宮の一つ。

建久2年(1191年)の勧請で、 以来、学問の神様として当地で広く崇められてきた。

しかし、当地における祭祀はそれよりも先行しており、現在は境内社となっている大鍬神社、小野神社などの創祀は3世紀頃と伝わる。ざっくりと邪馬台国や卑弥呼の時代と重なる。

大鍬神社は、『延喜式神名帳』近江国高島郡にある「大野神社」に、小野神社は「小野神社」に、それぞれ比定される式内社(小社)の論社。

小野神社大鍬神社とあるべきところを、『延喜式神名帳』に小野神社、大野神社と記されたという説がある。天満宮はそうした地に勧請されたことになる。一時は日吉山王社とも称したという。

小野神社の斜め前にある榊は、大前山中腹に鎮座する当社の境外社である大前神社の神霊を祀っており、大前神社の遥拝所である。

つまり、境外社(大前山中腹は現在、古社地とされている)とともに『延喜式神名帳』近江国高島郡にある「大前神社」に比定される。

以上の他、境内には恵比寿神社、貴船神社、国狭槌神社など大小十棟の社が鎮まる。さらに、一説によれば、当社地はやはり高島郡の式内社「大田神社(太田神社、太田社とも)」の古社地であるとも。

昔からの勅願所で、社領として130石を受けており、皇室からの崇敬も厚かった。

元亀2年(1571年)に織田信長による兵火に遭う。天正4年(1576年)に高島郡司磯野員昌が本殿を寄進し、天正13年(1585年)には豊臣秀吉が社領を寄進している。

慶安元年(1648年)には三代将軍徳川家光が社領10石を寄進し、以後代々の将軍から朱印状が与えられている。

平安末期の紙本墨書法華経一〇巻(重要文化財)や狩野山楽筆板絵著色絵馬 (県指定文化財)、長谷川左近筆の板絵著色三十六歌仙扁額などの神宝を所蔵する。

毎年4月29日に行われる当社の春の例大祭は、「海津まつり」「海津力士まつり」、あるいは単に「力士まつり」とも呼ばれる。

29日午後1時、色鮮やかな化粧まわしを着けた若者に担がれた御輿(みこし)2基が、当社から海津・西浜の各町内をまわる渡御が始まり、御輿が再び当社に戻ってくるのは午後8時頃。

夜には松明による「おねり」も行われ、町内だけでなく各地からこの祭を見ようという人が大勢訪れる。

この祭は、海津港が北陸から京への塩や米の輸送基地として賑わった約300年前から始まったといわれ、その当時、回船問屋で働く若者たちが力士をまねて化粧まわしを着け、美しさを競ったのが始まりといわれる。

式内社「大野神社」の論社には他に、日枝神社・大水別神社(高島市今津町)の日枝神社、日吉神社(高島市マキノ町大沼)、市杵島神社境内末社の大野神社(高島市朽木大野)などがある。

また市杵島神社境内にある小野神社も、式内社「小野神社」の論社。

式内社「大田神社」の論社には他に、大田神社(高島市新旭町太田)、日吉神社飛地境内の太田神社(高島市安曇川町青柳)がある。

式内社名が、男性アイドルグループ「嵐」(ジャニーズ事務所)のリーダー大野智の名前を冠する神社の一つ。嵐神社として有名なのは滋賀県栗東市の同名神社

【ご利益】
学問成就など
海津天神社 - 「大野神社」含む三つの式内社に比定される古社、「力士まつり」も
【関連サイト】
嵐神社 - 男性アイドルグループ「嵐」のメンバーの名前などと関連のある日本全国の神社

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