【日刊】日本の城
名称:金沢城(かなざわじょう)
別称:尾山御坊、尾山城、尾上城、金城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫

住所:石川県金沢市丸の内1−1
日本100名城:第35番
  - スタンプ:二の丸案内所、石川門入口案内所
金沢城(かなざわじょう)は、加賀国(今の石川県金沢市)にあった、江戸期には加賀藩主前田氏の居城だった日本の城である。

築城年は天正8年(1580年)であり、廃城年は明治4年(1871年)。天守の築造年は1592年だが、1602年に落雷によって焼失。主な築城者は佐久間盛政で、主な改修者は前田利家、前田利長である。

金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である。

櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓一重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓が建築上の特徴。

この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。

織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により滅ぼされ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。

利家は文禄元年(1592年)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、五重の天守や櫓を建て並べた。兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた大名庭園である。

城址は明治以降、存城とされて軍施設が置かれたため建物の一部を残して撤去され、第二次世界大戦後には金沢大学が平成7年(1995年)まで置かれていた。

日本の歴史公園100選で「金沢城公園」として、美しい日本の歴史的風土100選で「前田家城下町の遺産(金沢城址、兼六園、用水群、寺院群など)」として、それぞれ選ばれている。
金沢城 加賀国(石川県金沢市) - サムネイル写真
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金沢城公園

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