【日刊】日本の城
名称:七尾城(ななおじょう)
別称:松尾城、末尾城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:石川県七尾市古屋敷町タ−8−2
日本100名城:第34番
  - スタンプ:七尾城史資料館(12月11日~3月10日は七尾市教育委員会文化財課(七尾市役所内))
七尾城(ななおじょう)は、能登国(今の石川県七尾市)にあった日本の城で、日本五大山城、日本五大山岳城に数えられる中世屈指の山城の一つ。

築城年は1428年-1429年(正長年間)で、廃城年は1589年(天正17年)。天守はない。主な築城者は畠山満慶。

七尾湾が一望できる、石動山系の北端の標高300メートルほどの尾根上(通称「城山」)にあり、その尾根から枝分かれする行く筋もの大小の尾根にも無数の砦を配置した大規模な山城である。

「七尾」という名は「七つの尾根」(松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾)から由来されるという。別名として「松尾城」あるいは「末尾城」と記した資料も残る。これは城が七つの尾根のうち松尾に築かれたためである。

いずれも尾根づたいに配された曲輪を連想させる。

七尾畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年-1429年)頃にこの地に築いたと思われるが、当時の七尾城は砦程度の規模と見られ、行政府である守護所も府中(現七尾市府中)に置かれていた。

次第に拡張、増強され、以後約150年間にわたって領国支配の本拠となり、五代当主である畠山慶致の頃には守護所も府中(七尾城山の麓)から七尾城へと移されたという。

その後、畠山義続・畠山義綱の頃に能登では戦乱が続いたために増築され、最大の縄張りとなったと言われる。

山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたと記録に残っている。

1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、一年にわたって持ちこたえた。

しかし、重臣同士の対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、結果七尾城は孤立し、最終的には遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城された(七尾城の戦い)。

この際、上杉謙信が詠んだとされる漢詩「九月十三夜陣中作」は非常に有名である。

越中国と能登国を繋ぐ要所である七尾城は、のちに織田氏によって領され、城代として菅屋長頼が入って政務にあたった後に前田利家が入るが、既に山城の時代ではなく、拠点を小丸山城に移したため、しばらく子の前田利政が城主となっていたが、のち、1589年(天正17年)廃城となった。
七尾城 能登国(石川県七尾市) - サムネイル写真
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