生里のモモテ(なまりのももて)
種別1:風俗慣習
種別2:娯楽・競技
公開日:毎年旧暦2月1日に近い日曜日
指定日:2014.03.10(平成26.03.10)
都道府県:香川県
所在地:三豊市詫間町生里

生里のモモテは、香川県三豊市詫間町生里に伝承される年頭の弓射行事である。地区の青年たちから選ばれた射手たちが氏神である三宝荒神宮の境内で競い合って矢を放ち、一年の大漁豊作や集落の安全などを祈願するとともに、厄年にあたる男女や新造船などの厄払いを行う。

当地に伝承されるモモテは、百手あるいは百々手と表記され、現在では百々手祭とも。

その発生は定かではないが、当地に残る文書資料で、近親者の死や出産などに際して、行事に参加できない忌の期間や範囲を定めた宝暦14年(1764年)の『荒神宮百手服忌令』や、行事の作法などを記した安永3年(1774年)の『百手作法之事』などの記録から、近世中期には行われていたことがうかがわれる。

祭日は、かつては旧暦2月1日であったが、現在は、旧暦2月1日に近い日曜日に改められている。

行事の準備や運営は、トウヤ(頭屋)と呼ばれる10軒の家々の主人たちが中心となって行う。年が改まると自治会長が中心となり、その年のトウヤとライトウ(翌年のトウヤ)が前記の服忌の規定にしたがって選ばれる。

忌みのかかった家の主人は、『百々手頭指除帳』に書き上げられ、トウヤに不足等が生じた場合には、この帳面に記された人を古い順からあげていく。

トウヤは、旧暦1月8日前後に行われる初寄合で、ライトウとともに顔合わせをする。初寄合は、トウヤが三宝荒神宮の境内に参集し、ホンドウと呼ばれるトウヤの代表を籤引きで決めた後、ホンドウ宅に移動し、行事の段取りや役職等を相談して決める。

旧暦1月23日には、ホンドウを先頭にトウヤと厄年の男性たちが地区内にある神正院に二十三夜のお参りに行き、護摩祈祷を受ける。ホンドウは、この日から神前に供える甘酒を甕で仕込みはじめ、行事当日まで浜での潮垢離と三宝荒神宮への参詣を欠かさず行う。

射手は、オイテサンとも呼ばれ、生里と仁老浜の青年から選ばれる。射手は5名から10名で、それぞれの地区の射手の中で、長男で最年長の者がオヤジと呼ばれる射手の先頭となり、経験豊富で信望の厚い者がヤダイと呼ばれる射手全体の頭となる。

射手を初めて経験する青年は、ヤブラキと呼ばれ、念入りな稽古が行われる。

行事の前日は、早朝からマトフミと呼ばれる的作りがトウヤと射手を中心に三宝荒神宮の境内で行われる。竹を編んで2メートルほどの楕円形に成形し、正面に紙を貼って的円を墨で描く。これが大的で、このほかに小的を作る。

その後、射手は浜に向かい、海に入って潮垢離をとる。潮垢離が終わると、射手は浜に並べられた松の束を的にして予行的に弓を射る。

行事の当日は、早朝からトウヤ一同が三宝荒神宮へ参り、供物を奉納する。境内では、射手が参集し、茣蓙や座布団などを敷いて的庭が設えられると弓射がはじまる。

弓射は、生里の射手を上矢、仁老浜の射手を下矢と称し、上矢、下矢の順で行われる。矢を射る前には、サイリョウニンが潮をつけた榊の枝で射手と境内の的庭を清め、射手衆は横一列に並んで円を描くように的庭を回る。これはアミと呼ばれ、的庭を清める意味があるという。

神の的は、「千本通し」「神の矢千筋」とも称され、青竹にカワラケを数枚挿み、水引で結んだ的を射る儀礼で、「天照皇大神宮」をはじめ、31の神名が順番に読み上げられ、神ごとに的が立てられる。

厄払いの的は、厄年の男女が用意してきた扇子の的を42歳、33歳、61歳の順番で射手が射る。年によっては、新造船や新築した家の厄払いも行われる。

厄払いの的は、勝負とも呼ばれる競技性のある弓射で、矢が的に当たるとアテバナと呼ばれる祝儀がヤマから投げ込まれる。また、厄払いの的の途中では、サイリョウニンが願い事を書いた短冊付きの榎の枝を担ぎ、即興で滑稽な踊りを披露する。

トウヤの三度弓は、トウヤがアテバナを用意する大的を用いた弓射で、射終わると厄年の男性たちが的に押し寄せ、これを倒すのが仕来りとなっている。

最後に「鬼」の字が書かれた小的を厄年の男性たちが射抜く。こうしてすべての弓射が終了すると、トウヤとライトウが神前で向き合って並び、トウヤワタシの神酒を酌み交わして引き継ぎをする。

保護団体名:生里ももて祭保存会
重要無形民俗文化財「生里のモモテ」 - 香川・三豊市詫間町に伝わる年頭の弓射行事
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