【日刊】日本の城
名称:甲府城(こうふじょう)
別称:舞鶴城、一条小山城、府中城

史跡:県の史跡
国宝:-
重文:-

住所:山梨県甲府市丸の内1-5-4
日本100名城:第25番
  - スタンプ:舞鶴城公園管理事務所、甲府城稲荷櫓
甲府城(こうふじょう)は、甲斐国(今の山梨県甲府市)にあった日本の城で、甲府盆地北部、現在の甲府市中心街の一条小山に築城された中世から近世にかけての平山城である。

築城年は1583年(天正11年)ごろであり、廃城年は1873年(明治6年)。主な築城者は徳川家臣の平岩親吉である。

甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備された。

豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。

天守台はあるが天守が建てられていたかは不明。江戸時代には初期の幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代を通じて統治の拠点となる。

明治時代、1873年の廃城処分となった以降にも甲府は政治的・経済的中心地として機能し、甲府城は県庁主導の殖産興業政策において建物などの破却が行われ、内堀が埋め立てられて官業施設化される。

さらに中央線(JR東日本中央本線)の開通と甲府駅(甲府城清水曲輪跡にあたる)の開業により城跡は分断された。

戦後は城跡の発掘調査や史跡の整備が進み、現在は、本丸・天守曲輪及び天守台・稲荷曲輪・鍛冶曲輪の石垣、堀の一部が残り、武田氏居館とともに甲府駅周辺の観光地となっている。

また、出土遺物のうち鯱瓦(甲府城跡出土金箔鯱瓦)と飾瓦(甲府城跡出土飾瓦)は県指定文化財。

日本の歴史公園100選に「舞鶴城公園」として選ばれている。
甲府城 甲斐国(山梨県甲府市) - サムネイル写真
【関連サイト】
甲府城 - 甲府市

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