奈良県奈良市の平城京跡で、「皇太子」と書いたとみられる奈良時代の木簡片が見つかりました。「皇太子」の文字がある木簡が確認されたのは初めて。同時に出土した木簡の年号から、東大寺の大仏造立で知られる聖武天皇(701-756)が即位する前の「首皇子(おびとのみこ)」を指しているとみられています。朝日新聞が報じています。画像は、今回の調査に当たった奈良文化財研究所のブログ(出典:奈良文化財研究所)。
首皇子は、文武天皇と、平城京遷都を主導した当時の有力者、藤原不比等の娘・宮子(みやこ)の間に生まれ、今回の木簡出土地の近くにあった不比等邸で幼少期を過ごしたとされています。
今回発見された木簡は、皇太子付の役人の人数を書いたものとみられています。以上のような情報から、どのような状況でこの木簡が記され、使われていたのか、そして今回発見されるまで埋没したのか、空想が広がります。
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今回発見された木簡は、皇太子付の役人の人数を書いたものとみられています。以上のような情報から、どのような状況でこの木簡が記され、使われていたのか、そして今回発見されるまで埋没したのか、空想が広がります。
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