オオクニヌシ伝承に由来、歴代天皇に崇敬された古社
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[住所]和歌山県紀の川市貴志川町国主1
[電話]0736-64-6775

大國主神社(おおくにぬしじんじゃ、大国主神社)は、和歌山県紀の川市貴志川町にある神社。貴志川左岸にある陽向山に鎮座し、通称「おくにっさん」。創祀は、紀伊国一宮である伊太祁曽神社などとも共通する、当地周辺には多く見られる由緒によるとされる。

古くは14の村の産土大神で、『続風土記』によれば八十神の危難から逃れ、五十猛命(別名は大屋毘古神)のもとへ赴こうとした大国主命が当地を訪れたことが創建の由来。

御祭神は大国主命、天照皇大神少彦名命。権大神を合祀している。

平安初期、嵯峨天皇が神のお告げによって、弘仁9年(818年)、当社の造営を命じ、行幸し、境内に白槇をお手植えになったと伝わる。

淳和天皇の天長3年(826年)の夏、大干ばつがあり、諸国庶民が困窮した際、天皇は当社に勅使を差遣、勅祭を執り行い、「豪雨沛然として至り」危機を救ったとも言われる。 

御鳥羽上皇の熊野行幸の際も、御砌御鳳輦を当地に寄せたとも伝わる。その歌「ふたまたや 又二股の川中に しるしの鳥帽子われは立ておく」とある。

また、建久(1190年-1198年)の頃、源頼朝も深く尊信し、社殿再建を命じ、同6年(1195年)完成したとある。また、神田の寄進などがあったことも、近辺の地名に留めているという。

戦国期に荒廃、規模も暫時縮小し、現在に至る。江戸期より続く神事・大飯神事が戦争中に一度滞ったものの、平成5年(1993年)と平成17年(2005年)に執り行われて復興、現在も10年に一度程度の頻度で行われる。

平年は、社殿より300メートル離れた御旅所まで神輿渡御があり、奉納された餅による大投餅などが行われる。

“猫の駅長”として国内外から人気を集めたものの亡くなり、2015年6月28日に社葬が執り行われた和歌山電鐵株式会社貴志川線貴志駅の駅長である三毛猫「たま」(メス、16歳)について、当社の山本幸泰宮司が斎主を務め、「たま大明神」として奉斎。貴志駅に鎮座するたま神社に関して相談を受けている。

【ご利益】
五穀豊穣、商売繁盛、縁結び、良縁、医薬、治療など
大國主神社(紀の川市) - オオクニヌシ伝承に由来、歴代天皇に崇敬された古社
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