【日刊】日本の城
名称:川越城(かわごえじょう)
別称:河越城、初雁城、霧隠城

史跡:県の史跡
国宝:-
重文:-

住所:埼玉県川越市郭町2−13−1
日本100名城:第19番
  - スタンプ:川越城本丸御殿受付窓口
川越城(かわごえじょう)は、武蔵国(今の埼玉県川越市)にあった、江戸期には川越藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

築城年は1457年(長禄元年)であり、廃城年は1869年(明治2年)頃。主な築城者は太田道真、道灌父子で、主な改修者は大道寺政繁、松平信綱である。

武蔵野台地の北東端に位置する平山城。1848年(嘉永元年)に建られた本丸御殿の一部が現存する(埼玉県有形文化財)。本丸御殿大広間が現存しているのは、日本では本城と、高知城のみ。

二の丸跡は川越市立博物館・川越市立美術館となっている。三の丸跡地である埼玉県立川越高等学校の近くに小高い富士見櫓跡があり御嶽神社と浅間神社が建っている。

天守はなく、宇都宮城の清明台櫓と同様に城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守の代わりをしていた。富士見櫓は三層と考えられている。

中世から近世にかけて改築がなされ規模を大きく変えた。藩政時代には、酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など幕府の要職についた歴代藩主が多く(幕閣の老中数7名は全国でも最多の藩の一つ)、特に江戸時代中期までは「老中の居城」であった(中期以降は親藩)。

別名の初雁城は、城内の三芳野神社に「初雁の杉」に由来。毎年同じ時期に北から初雁が飛来し杉の真上で三声鳴き三度回って南に飛び去った、という故事による。

太田道灌が川越城築城祝いで開いた宴の折も初雁が来て鳴いたことから道灌が命名したとされる。三代目の初雁の杉が神社の社殿裏にある。

やはり別名の霧隠城は、城内に「霧吹きの井戸」という井戸があり、普段は蓋をしておくが危急の際は蓋を開くと霧が城を隠したという伝承による。井戸は移築され、現在は市立博物館の前庭にある。

関東七名城(川越城、忍城、前橋城、金山城、唐沢山城、宇都宮城、多気城あるいは太田城)の一つ。
川越城 武蔵国(埼玉県川越市) - サムネイル写真
【関連サイト】
埼玉県指定文化財 川越城本丸御殿 - 川越市立博物館