【日刊】日本の城
名称:新田金山城(にったかなやまじょう)
別称:太田金山城、金山城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:群馬県太田市金山町40-98・長手町・東金井町
日本100名城:第17番
  - スタンプ:中島記念公園(史跡金山城跡・南曲輪)の休憩施設内
群馬県太田市のほぼ中央にそびえる標高235.8メートルの独立峰、全山アカマツに覆われた金山に築かれた日本の城(山城)である。

築城年は1469年(文明元年)であり、廃城年は1590年(天正18年)。主な築城者は岩松家純で、主な改修者は後北条氏である。

金山の頂上にある山城で、現在は、本丸跡とされている地点に新田神社がある。背後の斜面には石垣の一部が遺存しており、往時のようすを現在に伝える。

関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」「月ノ池」がある。西南には二の丸跡、三の丸跡と呼ばれる曲輪が残り、これら曲輪につながる尾根群には堀切が設けられている。

また南曲輪には中島飛行機の創設者である中島知久平の胸像が建てられている。

1336年(建武3年)に佐野義綱が新田庄の新田城を攻め落としたという記録がある。

この新田城が新田義貞によって金山に建築されていたのではという説があるが、最近行われている発掘調査ではその時代の遺構や遺物は検出されていない。

1469年(文明元年)、新田一族であった岩松家純によって築城される。以降、1528年(享禄元年)に由良成繁・国繁親子、1584年(天正12年)には北条氏と主は変わったが、上杉謙信の攻撃を退けるなど、関東七名城(川越城、忍城、前橋城、金山城、唐沢山城、宇都宮城、多気城あるいは太田城)の一つとされる。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際攻撃を受けて落城、こののち廃城となった。

1934年(昭和9年)12月28日に「金山城跡」(かなやまじょうあと)として国の史跡に指定された。現在は、いくつかの遺構をもとに、公園として整備されている。
新田金山城 上野国(群馬県太田市) - サムネイル写真
【関連サイト】
史跡金山城跡(しせきかなやまじょうあと) - 太田市