【日刊】日本の城
・名称:足利氏館(あしかがしやかた)
・別称:鑁阿寺、足利氏宅跡(鑁阿寺)
・史跡:国の史跡
・国宝:本堂
・重文:鐘楼、経堂、金銅鑁字御正体など
・住所:栃木県足利市家富町2220
・日本100名城:第15番
- スタンプ:鑁阿寺本堂 足利氏館(あしかがしやかた)は、下野国(今の栃木県足利市)にあった、足利氏の居館である。日本の城である。現在は鑁阿寺(ばんなじ)となっているが、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。
築城年は12世紀半ばであり、廃城年は1234年(文暦元年)。主な築城者は源義康で、主な改修者は足利義氏である。
正式名称は「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)」。真言宗大日派の本山。足利氏の氏寺。本尊は大日如来。本堂が国宝に指定されている。
「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定され、「足利氏館」として日本100名城の一つとなっている。
12世紀半ばに足利氏の祖・源義康が同地に居館(足利氏館)を構える。
1196年(建久7年)に足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立。
1234年(文暦元年)に足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となる。
南北朝時代は鶴岡八幡宮の支配下となる。
1908年(明治41年)に鑁阿寺本堂が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定され、1922年(大正11年)3月8日には「足利氏宅跡」として国の史跡に指定される。
1951年(昭和26年)に真言宗豊山派から大日派として独立。2013年(平成25年)に本堂が国宝に指定された。
【関連サイト】
・鑁阿寺(ばんなじ) - 足利市
・名称:足利氏館(あしかがしやかた)
・別称:鑁阿寺、足利氏宅跡(鑁阿寺)
・史跡:国の史跡
・国宝:本堂
・重文:鐘楼、経堂、金銅鑁字御正体など
・住所:栃木県足利市家富町2220
・日本100名城:第15番
- スタンプ:鑁阿寺本堂 足利氏館(あしかがしやかた)は、下野国(今の栃木県足利市)にあった、足利氏の居館である。日本の城である。現在は鑁阿寺(ばんなじ)となっているが、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。
築城年は12世紀半ばであり、廃城年は1234年(文暦元年)。主な築城者は源義康で、主な改修者は足利義氏である。
正式名称は「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)」。真言宗大日派の本山。足利氏の氏寺。本尊は大日如来。本堂が国宝に指定されている。
「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定され、「足利氏館」として日本100名城の一つとなっている。
12世紀半ばに足利氏の祖・源義康が同地に居館(足利氏館)を構える。
1196年(建久7年)に足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立。
1234年(文暦元年)に足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となる。
南北朝時代は鶴岡八幡宮の支配下となる。
1908年(明治41年)に鑁阿寺本堂が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定され、1922年(大正11年)3月8日には「足利氏宅跡」として国の史跡に指定される。
1951年(昭和26年)に真言宗豊山派から大日派として独立。2013年(平成25年)に本堂が国宝に指定された。

【関連サイト】
・鑁阿寺(ばんなじ) - 足利市
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