陵付近にフツヌシとその妻の二座を祀る名神大社の論社
[住所]大阪府羽曳野市駒ヶ谷64
[電話]072-956-7887

杜本神社(もりもとじんじゃ)は、大阪府羽曳野市にある神社。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 安宿郡「杜本神社二座」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)の論社。近代社格では村社。

経津主命と経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)の夫婦神を祀る。経津主命の妻、経津主姫命を祀る神社に千葉県香取市大倉の側高神社があるが、珍しいといえる。

御祭神は『延喜式神名帳』に二座とあるのに対応している。なお、論社である柏原市の同名神社では一座としている。

異説として、『神社明細帳』では事代主命・経津主命、『河内国式神私考』では句々廼智命氷谷坐彌豆波乃売神、『地名辞典』『神祇志料』『地理志料』では「当宗忌寸の祖神」としている。

当宗忌寸の祖神に関しては、現在は誉田八幡宮の境内社になっている当宗神社がある。

創建年代は不詳。

式内社「杜本神社」は、第10代崇神天皇の時代、経津主命の14世孫である伊波別命(いわわきのみこと)が、祖神である経津主神の陵墓のある地に住み、経津主神を祀ったのが起源であるという。

ただし、伊波別命は現存資料にほとんどその名を示さない。また、経津主神の陵墓の所在についても、明確にされたことはない。

『延喜式神名帳』に名神大社として記されるほか、『延喜式』ではその祭礼が「杜本祭」として記載され、内蔵寮の幣使が参向していた。

当社の社伝によると、伊波別命に縁のある一族が祭祀を行い、平安時代には「矢作忌寸」を称したという。百済宿禰永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏(あすかべし)を祀る神社だった。

天正年間(1573年-1593年)、織田信長の高屋城攻めの際、兵火によって社殿・社宝を失い、天正14年(1586年)、豊臣秀吉に社領を没収され衰微した。

当社は、江戸期に神宮寺の金剛輪寺が創建され、住職・覚峰(かくほう)により再興される。明治の神仏分離により金剛輪寺は廃寺。

明治5年(1872年)に村社に列格し、明治41年(1908年)に神饌幣帛料供進社に指定された。

近辺では珍しくはないが、付近に聖徳太子の伝説が残され、境内にその看板が掲示されている。後醍醐天皇・後村上天皇の書状や人身獣面の隼人石などが残されている。

例祭は春が4月8日、秋が10月7・8日。

現在の社殿は江戸時代に高津宮から移築したものである。

境内社として、第18代反正天皇・伊波別命・遠登売命(不詳)を御祭神とする維日谷稚宮(若宮神社)、正一位橘朝臣楠木正成公を御祭神とする南木神社の他、天満宮、天照皇太神社、光国稲荷神社、光吉稲荷神社がある。

なお、式内論社として、先の柏原市の同名神社の他、その柏原市を合祀した国分神社の境内に今もある森本神社(杜本神社)が参考とされる場合がある。

【ご利益】
武道、交渉事
杜本神社(羽曳野市) - 陵付近にフツヌシとその妻の二座を祀る名神大社の論社
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