津和野弥栄神社の鷺舞(つわのやさかじんじゃのさぎまい)
種別1:民俗芸能
種別2:風流
公開日:毎年7月20日、27日
指定日:1994.12.13(平成6.12.13)
都道府県:島根県
所在地:弥栄神社(津和野)

この鷺舞は古く京都の祇園会で演じられていたが、室町時代に、大内氏が山口の祇園会にこれを移し、さらにこれが津和野の弥栄神社(島根県鹿足郡津和野町後田)の祭礼にも伝えられたものといわれている。

後にこれが一時中絶状態となったが、江戸時代初期に、今度は京都の祇園会の鷺舞を直接移し伝え、それが今日まで継承されてきている。

山口をはじめ他にも数か所同様の鷺舞が伝承されているが、古来からの伝統的な姿が最もよく継承されているのはここ津和野のものであって、昭和30年頃京都・八坂神社の祇園祭(「京都祇園祭の山鉾行事」)において、津和野のこの鷺舞が逆に移入されて再興されている。

この鷺舞は弥栄神社の祭礼として神輿の巡行に供奉する。つまり、7月20日(古くは旧暦6月7日)には本社から御旅所へ、27日(旧6月14日)には御旅所から本社へ供奉し、その途中11か所の定まった場所で舞ってきた。

鷺舞の行列の次第は、裃姿の警固に守られた一行が、棒振り二、雌鷺一、雄鷺一、羯鼓二、横笛二、小鼓二、締太鼓二、鉦二の順序に二人ずつ並んで続く。

本来はその後に小笠鉾一二本、大笠鉾一本が続いたのであるが、現在笠鉾は頭屋前に飾るのみで巡行には参加していない。

鷺は、雌雄とも白布の単衣に緋縮緬の踏み込み、白足袋、草履で、背に檜板を用いて作った白色の羽根を負い、頭には桐の木の芯に白紙を張って作った1メートルほどの鷺頭を頂く。

芸態は、棒振り二名を先頭に、中に雌雄の鷺、後に羯鼓二名が並び、その後に謡い手、囃子方が座すと、まず囃子の演奏が一通り行われ、次に地頭の「橋の上に 降りたー」と発声するのを合図に一斉に動き出す。

棒振り、鷺、羯鼓はそれぞれ異なる所作をするが、棒振りはゆっくりと鷺と羯鼓の外周を大きくまわる。羯鼓は位置を動かず、桴を眼前に上げ、蟹が横歩きをするような所作で上体を屈し、また身体を右から左へまわす。

中央の鷺は、互いに向かい合い、要所で羽根を広げ、円を描くようにまわり、雄が雌を背から抱くような所作をして終わりとなる。

この鷺舞は、そこに歌われる、「橋の上に降りた鳥は何鳥 鵲の 鵲の……」の歌詞は、京都祇園会のことを扱っている狂言の「煎物売」にも歌われており、また永享10年(1438年)の『看聞御記』にも同趣意の歌の記載があるなど、古風な京都祇園会の風流の芸態を今によく留めているものであり、わが国芸能の変遷を知る上で極めて重要な伝承である。

日本遺産津和野今昔~百景図を歩く~」の構成文化財の一つ。

保護団体名:弥栄神社の鷺舞保存会
重要無形民俗文化財「津和野弥栄神社の鷺舞」 - 祇園から直輸入、昭和に逆移入
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