【日刊】日本の城
名称:久保田城(くぼたじょう)
別称:矢留城、葛根城、秋田城

史跡:-
国宝:-
重文:-

住所:秋田県秋田市千秋公園1
日本100名城:第9番
  - スタンプ:秋田市立佐竹史料館、久保田城御隅櫓
久保田城(くぼたじょう)は、出羽国(今の秋田県秋田市)にあった、江戸期には久保田藩主佐竹氏の居城としても機能した日本の城である。矢留城、葛根城とも呼ばれる。

築城年は1604年(慶長9年)であり、廃城年は1880年(明治13年)。主な築城者は佐竹義宣である。

江戸時代後期の公式文書では「秋田城」と書かれることも多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは別の城であり、今日では「久保田城」の方が一般的。

雄物川の支流仁別川左岸、程野村窪田にある神明山(しんめいやま、標高40メートル)に築かれた平山城で、石垣は基底部に僅かにあるのみで、その上に土塁が盛られており(鉢巻土手)、天守も持たず、塁上に「出し御書院」と呼ばれる櫓座敷を建ててその代わりとし、他に8棟の櫓を建て並べていた。

石垣が無いのは幕府に遠慮したためとも言われるが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったため、石垣作りに精通した者が居なかったともされる。しかし、後に江戸城の修築を命じられた時、佐竹氏は石垣の普請も担当している。

いずれにせよ山川沼沢を巧みに利用し、防御を図っており、水堀や円郭式城郭など西国の様式も採り入れられている。なお、天守については、1633年(寛永10年)の火災以前には「御三階櫓」があったという説がある。

1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ、城下の中通を中心に秋田県初期の官庁街へと変貌した。

現在、久保田城本丸のあった一帯は千秋公園となり、秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館、平野政吉美術館などが整備されている。

建造物としては、前述の大火を逃れかつ解体も移築もされなかった御物頭御番所が現存し、本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)、本丸表門が再建されている。

「千秋公園」として日本の歴史公園100選に選ばれている。

城としてのマスコットキャラクター(ゆるキャラ)などは特になし。
久保田城 出羽国(秋田県秋田市) - サムネイル写真
【関連サイト】
久保田城御隅櫓 - 秋田市