【日刊】日本の城
名称:多賀城(たがじょう/たがのき、多賀柵)
別称:「多賀城跡 附 寺跡」、陸奥国府、鎮守府、陸奥将軍府

史跡:国の特別史跡
国宝:-
重文:-

住所:宮城県多賀城市市川立石
日本100名城:第7番
  - スタンプ:多賀城市埋蔵文化財調査センター展示室
多賀城(たがじょう/たがのき、多賀柵)は、陸奥国(今の宮城県多賀城市)にあった、日本の城である。諸説あるものの、日本三大遺跡の一つとされることもある。

築城年は724年(神亀元年)であり、廃城年は10世紀中頃。主な築城者は大野東人で、主な改修者は藤原恵美朝狩である。

大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として蝦夷との境界となっていた松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。

創建は724年(神亀元年)、按察使大野東人が築城したとされる。

多賀城創建以前は、郡山遺跡(現在の仙台市太白区)が陸奥国府であったと推定されている。陸奥国府のほか、鎮守府が置かれ、政庁や寺院、食料を貯蔵するための蔵などが置かれ、城柵で囲み櫓で周囲を監視していた。

多賀城が創建されると、国府が郡山遺跡から移され、黒川以北十群(黒川・賀美・色麻・富田・玉造・志太・長岡・新田・小田・牡鹿)に城柵・官衙とその付属寺院が設置・整備された。

それらの設置・整備は律令制支配の強化を図るものであり、多賀城はそれらの拠点を後援するための根拠地であった。南の大宰府に対して、北の鎮守府兼陸奥国府として併称された。

多賀城政庁に隣接し、陸奥国内100社を合祀する陸奥総社宮を奉ずる。陸奥国一宮鹽竈神社(塩竃神社)を精神的支柱として、松島湾・千賀ノ浦(塩竃湊)を国府津とする。都人憧憬の地となり、歌枕が数多く存在する。

建武新政期と南北朝時代初期、陸奥将軍府が置かれた。奥州将軍府は、多賀城の陥落後、将軍府の中心的武将、伊達行朝の所領である伊達郡の霊山に移転した。

マスコットキャラクターには、さざんか大臣(おとど)・あやめ姫・しゆう丸(多賀城史遊館)、ドッキー(多賀城市)、かわらどん(多賀城市)などもいる。詳細はこちら。また、「たがもん」もいる。関連情報はこちらのサイトに詳しい。
多賀城 陸奥国(宮城県多賀城市) - サムネイル写真
【関連サイト】
多賀城市観光協会|日本三大史跡、歌枕(家持・西行・芭蕉)の地を巡る

【関連記事】
多賀城神社 - 後村上天皇や南朝中心を祀る、戦後に城址で創建した市で最も新しい神社
多賀神社(市川) - 多賀城六月坂地区の役所跡、頭痛平癒の「お多賀様」としての信仰
多賀神社(高崎) - 古代に多賀大社を勧請、中世に鹽竈神社に合祀、近世は神明神社に