【日刊】日本の城
名称:盛岡城(もりおかじょう)
別称:不来方城

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:岩手県盛岡市内丸1-37
日本100名城:第6番
  - スタンプ:プラザおでって2階観光文化情報プラザ、もりおか歴史文化館
盛岡城(もりおかじょう)は、陸奥国(今の岩手県盛岡市)にあった、江戸期には盛岡藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

築城年は1598年(慶長3年)であり、廃城年は1871年(明治4年)である。天守の築造年は、1633年(寛永10年)。主な築城者は南部重直。

別名は不来方城(こずかたじょう)と一般に理解されているが、厳密には不来方城は盛岡城の前身であり、両者は別の城郭である。

南部(盛岡)藩南部氏の居城である。西部を流れる北上川と南東部を流れる中津川の合流地、現在の盛岡市中心部にあった花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城。

本丸の北側に二の丸が配され、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られ、現在は朱塗りの橋が架かっているが、存城当時は廊下橋(屋根のかかった橋)が架けられていた。

さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配された。本丸には天守台が築かれたが、幕府への遠慮から天守は築かれず、天守台に御三階櫓が建造され代用とされた。

後、1842年(天保13年)に12代利済により天守へと改称されている。

白い花崗岩で組まれた石垣は、土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っている。

建造物は明治初頭に解体され、現存するものは少なく、城内に移築された土蔵と、市内の報恩禅寺(名須川町1-5)に移築されたとされる門が残る。

清水寺に、いずれかの門か定かではないが城門が、木津屋本店奥土蔵(南大通3-20)、岩手川(旧・浜藤酒造、鉈屋町10番)に土蔵が再移築され現存する。

現在は岩手公園として整備され、当地出身の宮沢賢治の詩碑や、石川啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と刻まれた歌碑などが公園内にある。

「岩手公園」として日本の歴史公園100選に選ばれている。若松城白河小峰城とともに「東北三名城」の一つとされる。

キャラクター(ゆるキャラ)は、しわまろくんである。関連情報はこちらのサイトに詳しい。
盛岡城 陸奥国(岩手県盛岡市) - サムネイル写真
【関連サイト】
盛岡城跡公園(岩手公園)|盛岡市