・所在地:鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1-1

・時 期:-
・時 代:縄文時代早期~近世
・形 状:複合遺跡
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
上野原遺跡(うえのはらいせき)は、鹿児島県霧島市にある縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡。

遺跡の周辺は鹿児島県上野原縄文の森と呼ばれる県営公園として整備されている。また、鹿児島県立埋蔵文化財センターが敷地内に併設されている。

1986年(昭和61年)に、国分市(現・霧島市)において工業団地(国分上野原テクノパーク)の造成中に発見された。

同年から1996年(平成8年)にかけて鹿児島県教育委員会が発掘調査を行い、特に遺跡群の最下層には発見当時において日本列島で最古の大規模な定住集落跡があり、出土した土器が1998年(平成10年)に国の重要文化財に、遺跡の一部が1999年(平成11年)に国の史跡に指定された。

発掘調査では17層の地層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認された。定住集落跡が見つかったのは9層目。

竪穴式住居46軒、石蒸調理のための集石遺構が39基、燻製製造のための連穴土抗15基、その他の土抗約125基、道の跡2条が確認された。

すなわち約9500年前の縄文時代早期前葉に、面積は1万5000平方メートルの大集落が確認されたことになる。

「縄文文化は東日本で栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡となった。特徴的な土器としては、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の地層から見つかった。

遺跡は保護のために埋め戻され、その上に縄文時代の竪穴式住居などが復元され、財団法人鹿児島県文化振興財団が管理する「鹿児島県上野原縄文の森」という公園になっている。公園は、日本の歴史公園100選の一つ。

また、遺跡から出土した遺物は側にある「縄文の森展示館」にて見ることが可能である。

【関連サイト】
上野原遺跡 - Wikipedia

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