伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)
第21代雄略天皇はさらに、大若子命(おおわぐごのみこと、大幡主命)を祀る大若子命社を定め、大間社とする。

今の、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の大間国生神社である。

倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)の伊勢巡幸においてともにあった大若子命の死や、その鎮魂を意味しているのかもしれない。

そして、天照大御神(皇太神、大神)が、重ねてヤマトヒメに宣託する。
「私の祭りの際は、まずトヨウケビメノカミの神宮を祀るようにしなさい。その後、私の宮で祭りを執り行いなさい」
つまり、外宮先祭の始まり。

これなどは、『倭姫命世記』の成立要因、つまり、意図的編集の要素の一つか。

また、アマテラスが重ねて宣託する。
「我らの宮を作る際は、柱を高く太くし、板は広く厚くしなさい。これは、皇天の昌運、国家の洪啓。神器の大造です」
と。

そして、両宮は日小宮の宝基(ひのわかみやのかむやしろ)が遷され造営された。日小宮とは日の宮とも言われる。

これも、『倭姫命世記』の成立要因の一つなのかもしれない。今に伝わる式年遷宮の由来とも考えられる。

しかし、『倭姫命世記』の成立の頃、すでに朝廷は力を失っており、アマテラス祭祀の重要性を強調したところで、朝廷からの実質的な幇助は期待できなかったはず。それでもこれが伝わっているのは、それなりの史実の裏付けはあったのかもしれない。

前へ『倭姫命世記』(26)
目次『倭姫命世記』目次
次へ『倭姫命世記』(28)