元伊勢「与佐之小見比治之魚井原」の伝承が残る外宮元宮、豊受大神社(京都府福知山市大江町)の参道入り口
泊瀬朝倉宮大泊瀬稚武天皇(はつせのあさくらのみやのおほはつせわかたけるのすめらみこと=第21代雄略天皇)の即位21年[丁巳]冬10月、倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)は夢を見る。

『倭姫命世記』においては、ヤマトヒメの兄である第12代景行天皇の後を、第13代成務天皇が継ぎ、それから過ぎること十代目の第21代雄略天皇にいきなり飛ぶ。その間の記述は一切ない。ヤマトヒメにとって、雄略天皇は六代後の子孫となる。

その夢で、天照大御神(皇太神、大神)はヤマトヒメに神託する。
「食事に不便じゃ。丹波国与佐の小見比治の魚井原に坐す、道主の子、八乎止女が奉斎している御饌都神(みけつかみ)止由居太神(とゆけのおほかみ)を私が坐すこの国に欲しい」
そこでヤマトヒメは大若子命を使者にして、朝廷に奏上、それによって、雄略天皇は勅して、大若子命に社殿を構えさせた。

その後、翌年[戊午]秋七月七日、大佐々命に命じて、丹波国余佐郡真井原より止由気皇太神を迎え、度会の山田原に遷座した。

つまり、今の伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)である。

丹波国与佐の小見比治の魚井原、丹波国余佐郡真井原が外宮の元宮ということになる。元伊勢与佐之小見比治之魚井原」。

この時、外宮の整備の一環として、もともと内宮の第一摂神だった荒魂多賀宮を、外宮に移し、道主の子に物忌を奉り、御飯を供させる、御炊物忌の始まり。粟御子神社を整備した。

名前からも、今の皇大神宮(内宮)摂社の粟皇子神社であるが、粟皇子神社は先に創建されている。今でいう外宮の成立とともに再整備された可能性はある。

そういう意味では、内宮と外宮の接点が粟皇子神社とも言える。

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