皇大神宮(内宮)から五十鈴川を上ったところ
第11代垂仁天皇26年[丁巳]冬10月[甲子]、倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)は天照大御神(皇太神、大神)を奉遷し、度会の五十鈴の河上に留まった。

この年に、ヤマトヒメは、大若子命(おおわぐごのみこと、大幡主命)、物部八十友諸人たちに、後に皇大神宮と呼ばれる周囲一帯の整備を命じた。
「荒草・木根を刈り取り、大石・小石を造り平らにして整え、遠きあるいは近き山の木々を霊威ある斎部の斧で伐り採り、斎柱を立て〔一名を天御柱、一名を心御柱〕云々」
と。そして、
「アマテラス様と、荒魂宮、和魂宮とを鎮まり坐し奉るべし」。

美船神、朝熊水神たちは、船に乗って、五十鈴の河上に遷幸した。この時、河際でヤマトヒメの長い御裳の裾の汚れを洗った。そのため以来、その河際を御裳須曾河(御裳須曾川)と言う。

現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)末社の那自賣神社の御祭神が、御裳乃須蘇比売命(みものすそひめのみこと)。

采女の忍比売に、天の平瓮80枚を造らせ、天富命孫に、神宝鏡・大刀・小刀・矛楯・弓箭・木綿等を作らせ、神宝・大幣を備えた。

今でいう内宮が着々と整備されていった情景が思い浮かぶ。

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