元伊勢「矢田宮」の周辺
さて、倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)は二見から戻り、現在の伊勢市鹿海町あたりから矢田宮に幸行した。いわゆる元伊勢矢田宮」である。

次に家田の田上の宮に遷幸した。いわゆる元伊勢「家田々上宮」である。

その時、度会大若子命が天照大御神(皇太神、大神)の朝御饌・夕御饌の田を定めた。宇遅田々上にある抜穂田のこと、現在の神宮神田

そこから幸行し、奈尾之根宮(なをしねのみや)に遷った。いわゆる元伊勢「奈尾之根宮」である。

その時、出雲神の子、出雲建子命(いづもたけこのみこと)、一名を伊勢都彦神(いせつひこのかみ)、一名を櫛玉命(くしたまのみこと)、並びにその子である大歳神、桜大刀命(さくらとしのみこと)、山神・大山罪命、朝熊水神(あさくまのみなとのかみ)たちが、五十鈴川の後江で、御饗を奉った。

二見の苦難から一転、順調に進んだ様子がうかがえる。

ちなみに、大歳神の父はスサノヲとされる。つまり、出雲建子命・伊勢都彦神・櫛玉命はスサノヲと同体、とすると、少しややっこしいが、スサノヲの姿が投影されているのかもしれない。

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