現在の内宮摂社である江神社付近において、倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)はまた、荒崎姫と遭遇、ヤマトヒメが国の名を問うと、荒崎姫は、
「皇太神の御前の荒崎」
と答えた。
天照大御神(皇太神、大神)のことを熟知していたために、ヤマトヒメは、
「恐し」
と言って、恐縮しつつ、神前社を定めた。
現在、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の神前神社である。
この江の上に幸行して船を泊めた所に御津浦と名付けた。二見町三津か。
更に上に幸行すると、小さな島があり、その島に坐して山裾や河を見回すと、大屋門の如きところの前に平地があったので、そこに上陸して、その地を大屋門と名付けた。大屋門は不詳。
さらに幸行して、神淵河原に坐すと、苗草を戴く老女が現れたので、ヤマトヒメは、
「汝は何する老女ぞ?」
と問うと、老女は、
「我は苗草を取る女、名は宇遅都日女(うぢつひめ)」
と答えた。また、ヤマトヒメは、
「などか、かく為るぞ?」
と問うと、老女は、
「この国は鹿乃見哉毛為」
と答えた。そのため、そこを鹿乃見と名付けた。現在の鹿海町か。ヤマトヒメはさらに、
「これは何ぞ」
と続けて問うと、老女は、
「止可売」
と申上げたので、そこを止鹿乃淵(とかのふち? 不祥)と名付けた。
このあたり、佐見都日女から荒崎姫、そしてこの老女に至るまで、二見の巡行はヤマトヒメにとってあまり順風満帆ではなかったことがうかがえる。
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目次:『倭姫命世記』目次
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「皇太神の御前の荒崎」
と答えた。
天照大御神(皇太神、大神)のことを熟知していたために、ヤマトヒメは、
「恐し」
と言って、恐縮しつつ、神前社を定めた。
現在、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の神前神社である。
この江の上に幸行して船を泊めた所に御津浦と名付けた。二見町三津か。
更に上に幸行すると、小さな島があり、その島に坐して山裾や河を見回すと、大屋門の如きところの前に平地があったので、そこに上陸して、その地を大屋門と名付けた。大屋門は不詳。
さらに幸行して、神淵河原に坐すと、苗草を戴く老女が現れたので、ヤマトヒメは、
「汝は何する老女ぞ?」
と問うと、老女は、
「我は苗草を取る女、名は宇遅都日女(うぢつひめ)」
と答えた。また、ヤマトヒメは、
「などか、かく為るぞ?」
と問うと、老女は、
「この国は鹿乃見哉毛為」
と答えた。そのため、そこを鹿乃見と名付けた。現在の鹿海町か。ヤマトヒメはさらに、
「これは何ぞ」
と続けて問うと、老女は、
「止可売」
と申上げたので、そこを止鹿乃淵(とかのふち? 不祥)と名付けた。
このあたり、佐見都日女から荒崎姫、そしてこの老女に至るまで、二見の巡行はヤマトヒメにとってあまり順風満帆ではなかったことがうかがえる。
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