聖徳太子の伯母ゆかり放光寺の鎮守社、推古期の記録がある式内名神大社
[住所]奈良県北葛城郡王寺町王寺1827
[電話]0745-78-7535 - 鹿島神社
片岡神社(かたおかじんじゃ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある神社。現在は、北葛城郡王寺町の鹿島神社が管理している。
『延喜式神名帳』にある「片岡坐神社(大和国・葛下郡)」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)。近代社格では郷社。
現在は王子小学校の運動場に面し、西に片岡丘陵が見える。『万葉集』に読まれた地名の片岡で、当社東北の岩松寺を建立した聖徳太子の伯母にあたる片岡姫が住んでいた。
ただし、後述するように何度か遷座している。
当初の御祭神は不詳。現在は、天照皇太神、住吉三神である表筒男命・中筒男命、底筒男命、八幡神としての品陀別命、清瀧命とされる。
清瀧命は不詳だが、河内に通ずる水運の要所だったこともあり、水と関わりの深い地主神の可能性がある。
往古は、葛下郡または傍丘の郷の総社と言われ、郷民は大宮とも称したが、元来は、小字大峯にあったとする伝承がある。そこには現在小祠があり、榊の巨木がある。
伝承では大峯から張井へ、さらに門前へと三回遷座している。現在も隣接する放光寺の鎮守社だと考えられている。
放光寺は片岡姫による創建とされる。本殿向かって左方には大原神社、金計神社(かなけじんじゃ)ほか、住吉神社、弁天神社の計四社が境内社としてある。
『日本書紀』に第33代推古天皇21年(613年)12月庚午朔「皇太子遊行於片岡」とある。『新抄格勅符抄』には、大同元年(806年)に「片岡神三十戸」とみえる。
『日本三代実録』では、貞観元年(859年)正月27日甲申、正五位下。『本朝世紀』において、貞観元年(859年)9月8日庚申、「大和國片岡神、遣使奉幣、爲風雨祈焉」とある。
風雨の神として尊信され、正暦5年(994年)4月27日に疫癘、天変災異が多く中臣氏人奉幣とみえる。
江戸時代は「大宮」「五社明神」と称した。明治6年(1873年)4月、郷社に列し、明治39年(1906年)12月に神饌幣帛料供進社に指定された。
【ご利益】
風雨の神、厄除け、病魔退散、国土平穏

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[電話]0745-78-7535 - 鹿島神社
片岡神社(かたおかじんじゃ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある神社。現在は、北葛城郡王寺町の鹿島神社が管理している。
『延喜式神名帳』にある「片岡坐神社(大和国・葛下郡)」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)。近代社格では郷社。
神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「片岡社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。
また、『延喜式』巻11「玄蕃寮」に記載されている新羅から入朝した者に賜う神酒を作る工程の中で記された神社の一つか。
また、『延喜式』巻11「玄蕃寮」に記載されている新羅から入朝した者に賜う神酒を作る工程の中で記された神社の一つか。
現在は王子小学校の運動場に面し、西に片岡丘陵が見える。『万葉集』に読まれた地名の片岡で、当社東北の岩松寺を建立した聖徳太子の伯母にあたる片岡姫が住んでいた。
ただし、後述するように何度か遷座している。
当初の御祭神は不詳。現在は、天照皇太神、住吉三神である表筒男命・中筒男命、底筒男命、八幡神としての品陀別命、清瀧命とされる。
清瀧命は不詳だが、河内に通ずる水運の要所だったこともあり、水と関わりの深い地主神の可能性がある。
往古は、葛下郡または傍丘の郷の総社と言われ、郷民は大宮とも称したが、元来は、小字大峯にあったとする伝承がある。そこには現在小祠があり、榊の巨木がある。
伝承では大峯から張井へ、さらに門前へと三回遷座している。現在も隣接する放光寺の鎮守社だと考えられている。
放光寺は片岡姫による創建とされる。本殿向かって左方には大原神社、金計神社(かなけじんじゃ)ほか、住吉神社、弁天神社の計四社が境内社としてある。
『日本書紀』に第33代推古天皇21年(613年)12月庚午朔「皇太子遊行於片岡」とある。『新抄格勅符抄』には、大同元年(806年)に「片岡神三十戸」とみえる。
『日本三代実録』では、貞観元年(859年)正月27日甲申、正五位下。『本朝世紀』において、貞観元年(859年)9月8日庚申、「大和國片岡神、遣使奉幣、爲風雨祈焉」とある。
風雨の神として尊信され、正暦5年(994年)4月27日に疫癘、天変災異が多く中臣氏人奉幣とみえる。
江戸時代は「大宮」「五社明神」と称した。明治6年(1873年)4月、郷社に列し、明治39年(1906年)12月に神饌幣帛料供進社に指定された。
【ご利益】
風雨の神、厄除け、病魔退散、国土平穏

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