勝運の神、過去に競馬の神事や関連神像で「馬の神社」
許波多神社(五ヶ庄) - Wikipedia
[住所]京都府宇治市五ヶ庄古川13
[電話]0774-31-8676

許波多神社(こはたじんじゃ)は、京都府宇治市五ヶ庄にある神社。主祭神は天忍穂耳命瓊々杵尊神日本磐余彦尊を配祀する。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 宇治郡「許波多神社三座」に比定される式内社(名神大社、月次・新嘗)の論社。

ただし、『延喜式』臨時祭 名神祭には掲載されていない。近代社格では郷社。宇治市木幡に同名の神社があり、やはり式内社「許波多神社」の論社。

いずれも旧称は柳大明神。式内社「許波多神社」は、大海人皇子(後の天武天皇)や坂上田村麻呂が戦勝を祈願したと伝えられ、勝運を授かる神社として信仰されている。

社伝では、大化元年(645年)、蘇我倉山田石川麻呂の奏上により、孝徳天皇が中臣鎌足に命じて木幡荘に皇祖を祀る神殿を造営させたのに始まると伝えられる。

当時は柳山の地に社殿があったことから「柳大明神」と呼ばれるようになり、江戸時代までは「柳神社」を正式の社名としていた。

明治時代、陸軍宇治火薬製造所(現 陸上自衛隊宇治駐屯地)の建設のため、社地全体が官有地として召し上げられた。

当社は御旅所であった旧岡田村内の現在地に遷座し、その際に社名を旧称の許波多神社に復した。

平安時代後期の作とされる男女一対(馬頭天王・弁財天)の神像が伝わるが、これは附属の寺で祀られていたもの。重要文化財の本殿には、鎌倉時代の作とされる天忍穂耳命の神像が祀られている。

かつて、社殿より続く東西2町の馬道で競馬(くらべうま)の神事が行われ、「競馬発祥の神社」とされている。当社に残る平安時代の鐙(あぶみ)は重要文化財。

もともと勝運にゆかりの深い神社であることと、ほかにも馬頭天王の神像があることから、「馬の神社」として競馬ファンや競馬関係者の信仰を集めている。

式内社で天忍穂耳命を御祭神とするのは「許波多神社」だけとされる。

【ご利益】
勝運、競馬運、賭け事運、必勝祈願
許波多神社(五ヶ庄) - 勝運の神、過去に競馬の神事や関連神像で「馬の神社」
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