日本三大弁天の一つ、各時代に厚く崇敬され続け、宗像三女神を祀る
[住所]神奈川県藤沢市江の島2-3-8
[電話]0466-22-4020

江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社

厳島神社都久夫須麻神社(竹生島神社)とともに、日本三大弁天(日本三大弁才天)の一つ。鎌倉江の島七福神(弁財天)の一つ。また、湘南三社詣の一つ。

宗像三女神を祀る。島の西方の奥津宮(おくつみや)に多紀理比売命、中央の中津宮(なかつみや)に市寸島比売命、北方の辺津宮(へつみや)に田寸津比売命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。

福岡の宗像大社や、広島の厳島神社と同神。江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。

幕末に日本を訪れたロドルフ・リンダウは、著書『日本周航記』で、この弁財天についてOmanko-sama(おまんこさま、オマンコサマ)の別名がある、と記している。

現在の御祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されている。

社伝によれば、第29代欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。

神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとある。

歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、“芸能・音楽・知恵の神”として、また“福徳財宝の神”として、多くの庶民が参詣するようになった。

当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の三つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。

その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。

三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収。

後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。

明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり現社号に改称、県社に列した。

同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。

海上自衛隊の掃海艇「えのしま」の艦内神社に分祀したという。

神門である瑞心門は龍宮城を模した竜宮造の楼門。旧本宮である奥津宮の拝殿天井には酒井抱一の『八方睨みの亀』が描かれ、源頼朝が奉納した石鳥居がある。

4月最初の巳の日が例大祭「初巳祭」。龍口明神社とのゆかりが深い。

境内社に八坂神社などがある。八坂神社では7月第1日曜日から第2日曜日にかけて、小動神社とともに共同で天王祭が行われる。また、すぐ近くには児玉神社が鎮座している。

2015年4月ごろ、奈良・京都など世界遺産含む寺社に油のようなものがまかれていた被害が相次いだ事件で、被害に遭った一社。

【ご利益】
海の神、水の神、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神(公式HP
江島神社 - 日本三大弁天の一つ、各時代に厚く崇敬され続け、宗像三女神を祀る
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