性愛と結婚の日本史 (祥伝社黄金文庫)
・刊行:2015/6/12
・著者:加来耕三、(カバー錦絵)鈴木晴信「座敷八景 手拭掛帰帆」、(本文挿画)尾形月耕
・出版:祥伝社

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古代では多夫多妻制で、性に関しても現代よりもロマンチックでおおらかだった。巫女は神と寝るのが仕事でもあり、高貴な客人が訪ねてくると妻や娘が夜のご接待までする習慣さえあった。

公家のセックスは烏帽子を被ったままだったというからお笑いだ。また、たとえば、「夜這い」は「よばい」であり、男が女の元を訪ねて呼び合うというのが元々の意味だったのだ。

女の元をたびたび訪ねた男がそのまま居つけば、結婚となり「婿取婚」であり、その後、時代が進み武家社会になり「家」が女系から男系に変わるにつれ、結婚は妻を娶る「嫁入婚」になる。

中世では乱暴なことに、誘拐さながらの「辻取婚」というのもあった。辻でいきなり女性をさらって連れ帰り妻にしてしまうのである。お伽話の「ものぐさ太郎」は実はこの辻取婚の話だということは知られていない。

戦国武将は娘や妹を政勢力拡大のための略結婚に使ったりしていたが、戦国時代が落ち着き徳川の時代になると、家を守ることが中心の考え方になり、恋愛と結婚は切り離されて考えられるようになった。

また、男から女への離縁状と思われている「三行半」は、実は「再婚許可状」だったという。江戸時代も中ごろになり世の中が安定してくると、武家の世界では「不義密通」に対して厳しくなった。

中世での密通への罰が、尻の鞭打ちだったりしたのに比べ、江戸時代では密通した妻も間男も死罪だった。しかし、どの時代にも例外はあるもので、間男の「首代」、いわゆる慰謝料を7両も払えば許されるという裏の手もあった。

古代から近代まで、セックスや性愛、恋愛と結婚という視点で歴史を読み解けば、日本人の本質が見えてくる一冊である。

恋愛下手な男女を救うヒントは歴史にあった

『古事記』の昔から、日本人は性に対して実に大らかであり、恋愛が何より大好きな民族であってといえる。驚くほどに、男女共に日本人は、異性に対して自由奔放であった。

日本でも中世の半ばまでは、ヨーロッパ以上に煌びやかな歴史=恋愛から結婚にいたるプロセスを、大切にする国柄が存在した。

ギャラントリー(女性に対する奉仕精神)も、欧米諸国に決して負けていなかった。昨今、非婚・離婚が当たり前といわれる時代にあって、恋愛下手な男女はどうすればその境遇から脱することができるのか。

すべては、歴史にヒントがあった。

【関連書籍】
和田好子『やまとなでしこの性愛史: 古代から近代へ』 - 伝統は多夫多妻であった