博多の同名社の元宮、ヤマトヒメ櫛伝承で理容業者が信仰
櫛田神社(三重県松阪市)
[住所]三重県松阪市櫛田町724
[電話]-

櫛田神社(くしだじんじゃ)は、三重県松阪市櫛田町にある神社。

『延喜式神名帳』伊勢国多気郡にある「櫛田神社」「櫛田槻本神社」に比定される式内社(いずれも小社)。近代社格では村社。

櫛田川下流の西岸近くに立地している。理容美容業者の信仰を集め、境内に接した場所には三重県美容業生活衛生同業組合らによって建立された「櫛の碑」がある。

7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどで知られる福岡県福岡市博多区の櫛田神社は、奈良時代の天平宝字元年(757年)に当社を勧請して創建したと伝えられる。

御祭神は、大若子命(おおわぐごのみこと、大幡主命<おおはたぬしのみこと>)、櫛玉姫命須佐之男天忍穂耳市杵島姫

『倭姫命世記』によれば、当地を訪れた倭姫命が、大若子命との問答の後、櫛が落ちた。そのため当地を櫛田と名づけ、「櫛田社」を定めたとある。倭姫命が創建した一社。

当社由緒によれば、その後、大若子命は武人として数々の功績を残し、倭姫命は大若子命を当社の御祭神として祀るよう命じた。

当社は伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)所管で、宮七院・社十二の内巻頭第3位の格式を持ち、当時は「大森社」「中の宮」と呼ばれた佐那神社、「一之大宮」と呼ばれた須麻漏賣社とともに、「大社」と呼ばれた。

須麻漏賣社もやはり式内社「須麻漏売神社」で、現在は佐那神社、あるいは二十五柱神社に合祀されたものが論社となっている。

江戸時代の明暦(1655年-1657年)頃に社殿も失われ、中絶したが、享保年間(1716年-1735年)に再興された。

明治40年(1907年)2月27日、合祀とともに字室垣内に移転、大櫛田神社と改称し、翌明治41年(1908年)2月11日に山添町の元伊勢「飯野高宮」伝承が伝わる神山神社に合祀された。

その後氏子が分祀を希望し、昭和8年(1933年)2月1日に現社地に分祠された。

毎年9月に倭姫命の櫛の伝承にちなんで三重県美容業生活衛生同業組合主催の「櫛まつり」を、特殊神事として執り行っている。

【ご利益】
理容美容業者からの信仰、頭髪に関わること
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