・所在地:兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目

・時 期:4世紀末~5世紀初頭
・時 代:古墳時代中期前半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
ごしきづかこふん。4世紀末から5世紀初頭に築造された、全長194メートルの前方後円墳。国の史跡。別名「千壺古墳」(せんつぼこふん)。播磨地方ひいては兵庫県最大の規模の古墳。

墳丘は前方部を南西に向けた三段構築。高さは前方部で11.5メートル、後円部で18メートル、墳丘は葺石で覆われている。

呼称は、明石海峡を挟んで対岸の淡路島西南部の五色浜付近から石を運んで葺かれたことに由来するという説もあったが、時間帯で変わる太陽の光によって葺かれた石が異なる色で反射することに由来するという説も。

三段に築かれた古墳は、一番下の段の葺石が付近のものであるが、上二段の葺石は淡路島東側で産出するもの。

『日本書紀』神功摂政元年春二月の条に「播磨に詣りて山陵を赤石(明石)に興つ。仍りて船を編みて淡路嶋にわたして、其の嶋の石を運びて造る」という記事があり、これが、五色塚古墳に関する伝承と云われている。

瀬戸内海の海上交通の重要地点である明石海峡を望む高台に造られていることから、明石海峡とその周辺を支配した豪族の墓と考えられる。

濠は当時より空堀であったと考えられている。その中には前方部と後円部が接するあたりの東側に1辺20メートル、高さ5メートルの方形、および後円部の東側にも高さ1.5メートルのマウンドがある。当時は石が葺かれていた。

埴輪のほとんどは鰭付円筒埴輪で、4-6本に一本の割合で鰭付朝顔形埴輪が立てられ、ほかに蓋形埴輪や盾形埴輪が少数出土。濠の中には島状の土壇が造られていた。

すぐ隣には、直径60メートルの円形の、葺石はされていない小壺古墳(こつぼこふん、国の史跡)があり、本古墳より少し古い時代に造られたと考えられている。

1965年(昭和40年)から1975年(昭和50年)の整備事業により、造られた当時の様子に復元されている。表面にはコブシくらいの大きさの石が約223万個敷き詰められているが、前方部のものは発掘された葺石を利用し、後円部のものは新たに入れたもの。筒型の円筒埴輪が、後円部・前方部ともにレプリカを置いて再現されている。

【関連サイト】
五色塚古墳 - Wikipedia

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