櫛田神社(三重県松坂市)近辺を流れる櫛田川、ヤマトヒメが櫛を落としたことが地名の由来
第11代垂仁天皇22年[癸丑]、倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)は飯野の高宮に遷り、4年間奉斎。いわゆる元伊勢飯野高宮」である。

この時、飯高県造の祖の乙加豆知命(おとかづちのみこと)に対して、ヤマトヒメは、
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、乙加豆知命は、
「いすひ 飯高国」
と答え、神田・神戸を進呈した。ヤマトヒメは、
「飯高しと白すこと貴し」
と悦んだ。

次に、佐奈(佐那)県造の祖の弥志呂宿禰命(みしろのすくねのみこと)に、ヤマトヒメは、
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、弥志呂宿禰命は、
「こもりく 志多備の国、まくさむ 毛佐向国(草向ふ国)」
と答え、神田・神戸を進呈した。

またヤマトヒメは大若子命(おおわぐごのみこと、大幡主命)に
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、大若子命は、
「百張(ももはる)蘇我の国、五百枝刺(いほえさす)竹田の国」
と答えた。

そこにヤマトヒメの櫛が落ちたので、その地を櫛田と名づけ、櫛田社を定めた。

今、櫛田川と呼ばれる川が流れ、櫛田社は三重県松坂市にある櫛田神社である。

ヤマトヒメ一行は、ここから船に乗って幸行し、河後の江に到ると、魚が自然と寄り集って、船に乗って来た。ヤマトヒメは、これを見て悦び、魚見社を定めた。

今の三重県松阪市にある魚見神社、あるいは魚海神社である。現地の人々の服従を表したものと考えられる。

さらに幸行すると、御饗を奉る神が現れたので、ヤマトヒメは、
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、その神は、
「白浜 真名胡国」
と答えた。そこでヤマトヒメはこの地に兵名胡神社を定めた。三重県多気郡明和町にある畠田神社に合祀された白浜真名胡神社か。

また乙若子命は、麻神・草霊などをヤマトヒメに進呈して、祓いとした。陪従の人に及ぶまで弓剣を置き、兵と共に飯野高丘に入り、遂に五十鈴宮に向うを得た。

爾来、皇太子、斎宮、駅使・国司人などに至るまで、川辺で祓い、鈴声を止む、その儀の由緒となった。

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