倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)はとうとう伊勢国に入る。しかし、それは始まりでしかなかった。
第11代垂仁天皇14年[乙巳]、伊勢国の桑名野代宮(くはなのしろのみや)に遷幸して、4年間奉斎。いわゆる元伊勢「桑名野代宮」である。
この時、国造の大若子命(おおわぐごのみこと、大幡主命)が現れ、ヤマトヒメとともに天照大御神(皇太神、大神)に仕えるようになったため、ヤマトヒメは大若子命に国内の風俗を奏上させた。
また、国造の建日方命(たけひかたのみこと)が現れたので、ヤマトヒメが、
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、
「神風の伊勢国」
と返答し、さらに舎人弟の伊尓方命(いにかたのみこと)と、地口・神田・神戸を進呈した。
大若子命は、舎人弟の乙若子命を進呈した。
次に、川俣県造の祖の大比古命(おおびこのみこと)が現れたので、ヤマトヒメは、
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うた。オオビコは、
「味酒(まさけ)鈴鹿国、なぐはし忍山(おしほやま)」
と答えた。そして社を造営して滞在した。またオオビコは神田・神戸を進呈した。
いわゆる元伊勢「奈其波志忍山宮」である。
なお、この大比古命と、四道将軍の一人であるオオビコが同一人物かどうかは定かではない。ただし、敢國神社(三重県・伊賀市、元伊勢「敢都美恵宮」伝承地の一つ)に伝承が残るなど、四道将軍のオオビコはこの地方にゆかりが深く、特段別人とする理由は見つからない。
次に、阿野県造の祖の真桑枝大命(まくはしおほのみこと)に対して、ヤマトヒメは
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、真桑枝大命は、
「草蔭(くさふか)阿野国」
と答え、神田・神戸を進呈した。
いわゆる元伊勢「草蔭阿野国」である。
「阿野国」の所在地は今に至るまで不詳。伊勢国内の巡行ではあるので、伊勢国内のどこかに比定するのが合理的ではあるが、それでも確定ができない。その前後が明確になっているのに、ここだけ不詳というのはおかしい。
であれば、伊勢国とは関係ない、第三国、遠国である、と想定してもあながち間違いではないかもしれない。伊勢と遠く離れた関東にそれを見出す説もある。
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目次:『倭姫命世記』目次
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第11代垂仁天皇14年[乙巳]、伊勢国の桑名野代宮(くはなのしろのみや)に遷幸して、4年間奉斎。いわゆる元伊勢「桑名野代宮」である。
この時、国造の大若子命(おおわぐごのみこと、大幡主命)が現れ、ヤマトヒメとともに天照大御神(皇太神、大神)に仕えるようになったため、ヤマトヒメは大若子命に国内の風俗を奏上させた。
また、国造の建日方命(たけひかたのみこと)が現れたので、ヤマトヒメが、
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、
「神風の伊勢国」
と返答し、さらに舎人弟の伊尓方命(いにかたのみこと)と、地口・神田・神戸を進呈した。
大若子命は、舎人弟の乙若子命を進呈した。
次に、川俣県造の祖の大比古命(おおびこのみこと)が現れたので、ヤマトヒメは、
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うた。オオビコは、
「味酒(まさけ)鈴鹿国、なぐはし忍山(おしほやま)」
と答えた。そして社を造営して滞在した。またオオビコは神田・神戸を進呈した。
いわゆる元伊勢「奈其波志忍山宮」である。
なお、この大比古命と、四道将軍の一人であるオオビコが同一人物かどうかは定かではない。ただし、敢國神社(三重県・伊賀市、元伊勢「敢都美恵宮」伝承地の一つ)に伝承が残るなど、四道将軍のオオビコはこの地方にゆかりが深く、特段別人とする理由は見つからない。
次に、阿野県造の祖の真桑枝大命(まくはしおほのみこと)に対して、ヤマトヒメは
「汝が国の名は何ぞ?」
と問うと、真桑枝大命は、
「草蔭(くさふか)阿野国」
と答え、神田・神戸を進呈した。
いわゆる元伊勢「草蔭阿野国」である。
「阿野国」の所在地は今に至るまで不詳。伊勢国内の巡行ではあるので、伊勢国内のどこかに比定するのが合理的ではあるが、それでも確定ができない。その前後が明確になっているのに、ここだけ不詳というのはおかしい。
であれば、伊勢国とは関係ない、第三国、遠国である、と想定してもあながち間違いではないかもしれない。伊勢と遠く離れた関東にそれを見出す説もある。
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