和泉国名の発祥の地・和泉国総社、秀吉が茶の湯で愛用した和泉清水
[住所]大阪府和泉市府中町6-2-38
[電話]0725-44-8182

泉井上神社(いずみいのうえじんじゃ)は、大阪府和泉市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「泉井上神社」に比定される式内社(小社)。近代社格は府社。境内に和泉国総社である和泉五社総社が鎮座する。

主祭神は、「独化天神」(造化の三神)とする天之御中主神高産巣日神神産巣日神仲哀天皇神功皇后応神天皇の他、三韓征伐武勲従者45柱を祀る。

創建は不詳。社伝によれば、第14代仲哀天皇9年に神功皇后が三韓征伐へ出発する途上、当地を行啓した際に突如として泉が湧き出、凱旋後に霊泉として社を築いて祀ったという。

本殿脇にあるこの霊泉は「和泉清水」と呼ばれ、和泉国の国名の起源とされる。

後に、当社を中心に和泉国の国府が置かれ、国内の一宮・大鳥大社、二宮・泉穴師神社、三宮・聖神社、四宮・積川神社、五宮・日根神社和泉五社のそれぞれの御祭神を勧請した総社、和泉五社総社が築かれた。

一説には、井ノ八幡宮として、和泉国国分寺の守護神とも。八幡宮としての要素は皆無ではあるが。和泉国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮は不詳だが、当社が兼ねた可能性もある。

中世に入ると、当社と五社総社の区別が次第に希薄になり、同一視されるようになった。また、八幡信仰が盛んになり放生会も行われるようになったという。

豊臣秀吉は大坂城在城の折には和泉清水を茶の湯に用いていたと言われ、子の秀頼によって慶長10年(1605年)に五社総社本殿が再建された。

この際、当社は五社総社の摂社扱いとなったが、明治32年(1899年)に当初の鎮座地に戻った。

五社総社本殿は現在、重要文化財に指定されている。五社総社の御祭神は以下の通り。

天照大日霊貴尊 - 大鳥大社(※)
天忍穂耳尊 - 泉穴師神社
天瓊瓊杵尊 - 聖神社(※)
彦火火出見尊 - 積川神社(※)
鸕鷀草葺不合尊 - 日根神社

いわゆる地神五代である上記五社をはじめ、和泉国62座を祀る。一方で、上記※はそれぞれの現在の各社の御祭神とは微妙に、あるいは大幅にずれている場合がある。

総社として、皇祖神であること、及びその順番を念頭に再編された可能性がある。

他の境内社に、事代主神社・大国主神社・菅原市邊磐坂神社・小竹神社・白鳥神社・和泉神社・春日神社・勝手神社・熊野神社がある。

このうち、五瀬命と元正天皇・聖武天皇を祀る和泉神社もやはり式内社。

当社の例祭は10月4-6日。この秋の例祭では、市辺町・和気町・小社之町・小田町・東泉寺・馬場之町・南之町の地車(だんじり)の宮入りが行われる。いわゆる和泉だんじり祭りの一つ。

1月9-11日まで、十日戎の和泉戎祭がある。

【ご利益】
万物創造の神、生命の守り神、招福の神(公式HP
泉井上神社 - 和泉国名の発祥の地・和泉国総社、秀吉が茶の湯で愛用した和泉清水
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泉井上神社の御朱印