天神祭(てんじんまつり、てんじんさい)は、日本各地の天満宮(天神社)で催される祭り。祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日で、25日前後に行われる。一年のうち1月の初天神祭など、ある月に盛大に行われることがある。各神社で行われる天神祭の中では、大阪天満宮を中心として大阪市で行われる天神祭が有名。

大阪の天神祭は、日本三大祭祇園祭山王祭神田祭)の一つ。また、生國魂神社生玉夏祭住吉大社住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つ。

期間は6月下旬吉日-7月25日の約1か月間に亘り諸行事が行われる。特に、25日の本宮の夜は、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が行われ、奉納花火があがる。

大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれている。厳島神社管絃祭津島神社天王祭とともに日本の三大川祭と称される。

また、厳島神社の管絃祭、島根県松江市の城山稲荷神社によるホーランエンヤとともに、日本三大船神事の一つ。兵庫県赤穂市の大避神社坂越の船祭り、厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭り

他に鉾流神事(ほこながししんじ)、陸渡御(りくとぎょ)などの神事が行われる。24日宵宮、25日本宮。

大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。

これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。

安土桃山時代に豊臣秀吉より催太鼓を拝領する。寛永(1624年-1645年)末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやめられる。

このころ陸渡御の起源となる地車が登場する。慶安2年(1649年)に出たお触書によると、多くの地車が争って宮入しようとするため、順番を決めさせたとある。寛文(1661年-1672年)末期に御旅所が戎島に移転。

元禄(1688年-1704年)時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。またこの頃より講が形成され日本三大祭として呼ばれるようになる。

この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中に見ることができる。

慶応元年(1865年)、将軍徳川家茂が長州征伐のため大阪城に入城したため、中止される。この年以降、維新の騒乱により明治4年(1871年)に復活するまで中止された。

明治7年(1874年)に船渡御が中止され、本社営繕やコレラの流行のため明治14年(1881年)に復活するまで再び中止された(陸渡御のみ行っていた年もある)。

それ以外でも明治天皇の崩御や大川の水位が上昇したためなど度々中止されることもあった。昭和5年(1930年)に食満南北(けまなんぼく)の提言により鉾流神事が復活。

昭和13年(1938年)から昭和23年(1948年)まで日中戦争、第二次世界大戦の影響により船渡御や祭事そのものが中止された。

昭和24年(1949年)に船渡御が復活するが地盤沈下の影響で船が橋の下をくぐり御旅所に到着することが困難になったため再び中止され、昭和28年(1953年)に上流に遡る形になる。

昭和49年(1974年)、オイルショックの影響で船渡御が中止される。

昭和56年(1981年)にギャルみこしが誕生。平成3年(1991年)より水都祭と天神祭奉納花火が合同で行われる。平成6年(1994年)にブリスベンで天神祭が斎行される。

平成9年(1997年)は台風の影響で、本宮が縮小され、平成12年(2000年)は7月25日が香淳皇后の斂葬の儀のため、本宮が休みとなり翌日の7月26日に振り替えで本宮が開催された。
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