
生まれながらにして容姿端麗、聡明叡智、貞潔で神明に通じる、と言われた。
御杖代と定められた時、御年何歳なのかは伝わらないが、『倭姫命世記』の記述を信じるのであれば、ヤマトヒメの寿命は500歳に近い。
それはあり得ないとしても、トヨスキイリビメの奉斎が実に58-60年続いたことも考え合わせれば、ヤマトヒメ自身長き巡幸を成し遂げており、この時、ヤマトヒメは幼女と呼べる年だったことが考えられる。
さて、崇神天皇60年[癸未]、ヤマトヒメは大和国の宇多秋宮(宇太阿貴宮)に遷り、4年間奉斎。いわゆる元伊勢「宇多秋宮」である。この時、大和国造は、采女の香刀比売(かとひめ)、地口・御田を進呈した。
この宮にいる時、天照大御神(皇太神、大神)がヤマトヒメの夢に現れ、「高天原に坐した時、私が見た国に、私を祀りなさい」と諭し教えた。
そこで、ヤマトヒメはここより東に向って請い、「我が志に沿って行くところ、佳きところあれば、未嫁夫童女に逢え」と祈祷し、幸行した。
すると佐々波多が門(菟田筏幡、菟田の筏幡)に、童女が現れたので、ヤマトヒメが、
「汝は誰ぞ?」
と問うと、童女は、
「私は天見通命の孫、八佐加支刀部(やさかきとめ〔一名は伊己呂比命(いころひのみこと)〕)の子、宇太乃大称奈(うだのおおねな)です」
と言った。
さらにヤマトヒメは、
「ともにアマテラス様にお仕えするか」
と問うと、宇太乃大称奈は、
「仕えさせていただきます」
と言った。そして、ヤマトヒメはこの宇太乃大称奈を「大物忌(おほものいみ)」と定め、天岩戸の鍵を預け、近くに仕えさせた。
宇太乃大称奈は、黒き心を無くして、丹き心を以って、清く潔く斎み慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さず、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に回ることも、万事違うこともなくして、アマテラスに仕えた。はじめをはじめとし、もとをもとにする所縁である。
また弟大荒命も同じく仕えた。
年長の女性と童女のやり取り、とも読み取れるが、おそらく、2人の女性の年齢はそう変わらないものだったはず。『倭姫命世記』にはその当たりは特に明記されていない。
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