元伊勢「笠縫邑」の伝承が残る巻向坐若御魂神社の論社、穴師坐兵主神社(大兵主神社)
初代神武天皇より、稚日本根子彦大日々天皇(かむやまとねこひこおほひひのすめらみこと=第九代開化天皇)までの九帝、年歴て六百三十余年。

帝と、神の境際はいまだ遠からずあり、同殿共床を常とした。そのため、神の物と官の物もまた、分かれてはいなかった。

御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにゑのすめらみこと=第10代崇神天皇)の即位6年[己丑]秋9月、大和国の笠縫邑(かさぬひのむら)に磯城(しき)の神籬を立て、天照大御神(皇太神、大神)と草薙の剣を奉遷し、皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に奉斎させた。

いわゆる元伊勢笠縫邑」である。その遷祭の夕べに、宮人は皆参詣し、終夜、宴楽歌舞した。

その後、アマテラスの教へのままに、国々処々に大宮処を求めた。神武天皇以来九帝の間は同殿共床だったが、ようやく神の勢いを畏れるようになり、共に住むこと安からずと、改めて斎部(いむべ)氏をして石凝姥神裔、天日一箇(あめのまひとつのかみ)裔の二氏を率て、改めて鏡と剣を鋳造し、以て護身御璽とした。

今の践祚の日に献る神璽、鏡、剣は、これである。

前へ『倭姫命世記』(2)
目次『倭姫命世記』目次
次へ『倭姫命世記』(4)