ニニギの第二子で、母は大山祇神(おほやまつみのかみ)の娘・木花開耶姫(このはなのさくやひめ)である、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、天下を治めること63万7892年。
山幸彦の第一子で、母は海童(わたつみ)の娘・豊玉姫である、彦波瀲武鵜草茸不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)は、天下を治めること83万6032年。
神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと〔ウガヤフキアエズの第四子。母は玉依姫で、オオワタツミの娘。トヨタマの妹〕、初代神武天皇)は、生れながら賢く、心強くあり、御年15歳で皇太子となった。45歳の時、諸兄や子たちに言った。
「むかし、高天原のタカミムスヒノカミと天照大御神(皇太神、大神、あまてらすおおみかみ)は、この豊葦原の瑞穂国を我が皇祖であるニニギ様に授けた。
ニニギ様は、天の関を開いて雲路をかき分け、道を祓って降臨された。太古の荒涼の地は混沌としており、道暗き中に正しきを養い、西に偏ったところ(九州・日向)で天下を治めた。
皇祖は神また聖として、慶びを重ね、輝きを増し、多くの年を歴て、天祖の降跡より以来、今に179万2470年になる」
そうして、東遷を決意した。その元年[甲寅歳]冬十月、日の本の国に向い旅立つ。天皇は諸皇子の船団とともに東に向かった。八年[辛酉]正月、都を橿原(畝傍橿原宮)に建て、帝宅を造営し、皇孫命の美豆御舎(みづのみあらか)を建立。
天の御蔭、日の御蔭と隠れ坐して、四方の国を平らげ、安んじだ。天の御印である剣と鏡を捧げ持ち、祈った。
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山幸彦の第一子で、母は海童(わたつみ)の娘・豊玉姫である、彦波瀲武鵜草茸不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)は、天下を治めること83万6032年。
神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと〔ウガヤフキアエズの第四子。母は玉依姫で、オオワタツミの娘。トヨタマの妹〕、初代神武天皇)は、生れながら賢く、心強くあり、御年15歳で皇太子となった。45歳の時、諸兄や子たちに言った。
「むかし、高天原のタカミムスヒノカミと天照大御神(皇太神、大神、あまてらすおおみかみ)は、この豊葦原の瑞穂国を我が皇祖であるニニギ様に授けた。
ニニギ様は、天の関を開いて雲路をかき分け、道を祓って降臨された。太古の荒涼の地は混沌としており、道暗き中に正しきを養い、西に偏ったところ(九州・日向)で天下を治めた。
皇祖は神また聖として、慶びを重ね、輝きを増し、多くの年を歴て、天祖の降跡より以来、今に179万2470年になる」
そうして、東遷を決意した。その元年[甲寅歳]冬十月、日の本の国に向い旅立つ。天皇は諸皇子の船団とともに東に向かった。八年[辛酉]正月、都を橿原(畝傍橿原宮)に建て、帝宅を造営し、皇孫命の美豆御舎(みづのみあらか)を建立。
天の御蔭、日の御蔭と隠れ坐して、四方の国を平らげ、安んじだ。天の御印である剣と鏡を捧げ持ち、祈った。
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