謎に包まれた弥生時代の青銅器・銅鐸が、兵庫県南あわじ市で7個まとめて見つかりました。銅鐸の保存状態は極めて良く、調査に協力している奈良文化財研究所は「数十年に一度の第一級の発見」としています。毎日新聞が報じています。画像は南あわじ市で江戸時代に出土した銅鐸(出典:南あわじ市)。南あわじ市では他にも複数の銅鐸が出土しており、もともと「銅鐸の里」でもありました。
銅鐸の一度の出土しては、
・加茂岩倉遺跡(島根県雲南市、1996年)39個
・大岩山(滋賀県野洲市、1881年と1962年)24個
・桜ケ丘(兵庫県神戸市灘区、1964年)14個
今回の発見はこれらの「歴史的発見」に比肩するものとなりそうです。
銅鐸は全くの謎です。祭祀で用いられていたのだろうと考えられていること、弥生時代前期から中期にかけては「聞く」ために、中期から後期にかけては「見る」ために制作されたと考えられていること。そして、「見る」銅鐸の出現と同時に、「聞く」銅鐸は埋められ、「見る」銅鐸も弥生時代の終焉、古墳時代の突入、つまり古墳の出現によって、これもまた一斉に埋められたようです。銅鏡とも微妙に交差しています。
今回の銅鐸は「聞く」銅鐸。つまりかなり古い時期、もしかしたら最古級のものかもしれないとの指摘があるほど。舌(ばち)も一緒に出土しており、当時どのように銅鐸が叩かれたのか、分かる可能性がある、と言います。どのような音色が出、それを当時の人はどう聞き感じ取っていたのか、興味が尽きません。
淡路島は『古事記』などの国生み神話で、日本列島の中で真っ先に生まれますが、それ以上に、というか、連動して認識されなければならないのが、古代日本においては、「ど真ん中」だった、ということ。これは人口数など国力を意味するものではなく、文字通り、国土の真ん中、神聖な場所、ととらえられて来たと思われます。
直感的には、なぜこれらの銅鐸がこの地に埋められたのか、九州からの侵攻危機という理由はあくまでも大和中心の見方に偏りすぎていているような気がして、むしろ、淡路島を中心とした四方八方のネットワーク、その中心としての淡路島、その中での今回の発見をとらえる、という考えの方が良いのではないかと思います。
ともかく、調査研究の進展を是非期待したいところです。
銅鐸の一度の出土しては、
・加茂岩倉遺跡(島根県雲南市、1996年)39個
・大岩山(滋賀県野洲市、1881年と1962年)24個
・桜ケ丘(兵庫県神戸市灘区、1964年)14個
今回の発見はこれらの「歴史的発見」に比肩するものとなりそうです。
銅鐸は全くの謎です。祭祀で用いられていたのだろうと考えられていること、弥生時代前期から中期にかけては「聞く」ために、中期から後期にかけては「見る」ために制作されたと考えられていること。そして、「見る」銅鐸の出現と同時に、「聞く」銅鐸は埋められ、「見る」銅鐸も弥生時代の終焉、古墳時代の突入、つまり古墳の出現によって、これもまた一斉に埋められたようです。銅鏡とも微妙に交差しています。
今回の銅鐸は「聞く」銅鐸。つまりかなり古い時期、もしかしたら最古級のものかもしれないとの指摘があるほど。舌(ばち)も一緒に出土しており、当時どのように銅鐸が叩かれたのか、分かる可能性がある、と言います。どのような音色が出、それを当時の人はどう聞き感じ取っていたのか、興味が尽きません。
淡路島は『古事記』などの国生み神話で、日本列島の中で真っ先に生まれますが、それ以上に、というか、連動して認識されなければならないのが、古代日本においては、「ど真ん中」だった、ということ。これは人口数など国力を意味するものではなく、文字通り、国土の真ん中、神聖な場所、ととらえられて来たと思われます。
直感的には、なぜこれらの銅鐸がこの地に埋められたのか、九州からの侵攻危機という理由はあくまでも大和中心の見方に偏りすぎていているような気がして、むしろ、淡路島を中心とした四方八方のネットワーク、その中心としての淡路島、その中での今回の発見をとらえる、という考えの方が良いのではないかと思います。
ともかく、調査研究の進展を是非期待したいところです。
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